1936年 (昭和11年) 3月25日から5月15日 (52日間) まで開催された。会場は岐阜公園及び長良川畔 (現在の鵜飼い大橋~忠節橋一帯と推測される) 。展示館は30~40館あったと推測される。またイベントとして関の孫六の流を汲む刀都関の名匠の刀剣鍛錬、忠節用水にて鵜飼 (長良川鵜飼) が実演されている。鵜飼は通常夜間行われるが、この時は昼間に行われた。近代科学と観光岐阜を紹介し地域振興を図るために開催されたが、時局を反映して軍事を啓発する内容の博覧会であった[1]。入場者総数は193.2万人。当時の資料はほとんどが太平洋戦争の岐阜空襲で焼失している。