岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市)に生まれる[1]。
郷里の中学校を中退して上京した。鉱業などの事業に携わり、1922年日満実業(のちの日本化学産業)を創立し、代表取締役に就任した。また陸軍大将の児玉源太郎、政治家の原敬らの知遇を得、政友会系大物政治家と密接な関係を持ちつづけ、1945年の日本自由党創立に関与したため、政界の黒幕的存在であった。
有望な政治家に貢ぐのを好み、清国より亡命中の孫文、黄興などを援助した。
戦後、隠退蔵物資事件への関与を疑われ、衆議院不当財産取引調査委員会でその政治献金を追及された。
墓所は東京都杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所。