辻源兵衛

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生年月日 (1925-10-29) 1925年10月29日
没年月日 (1945-01-12) 1945年1月12日(19歳没)
投球・打席 右投右打
辻 源兵衛
基本情報
出身地 日本の旗 日本 和歌山県
生年月日 (1925-10-29) 1925年10月29日
没年月日 (1945-01-12) 1945年1月12日(19歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手投手
プロ入り 1944年
初出場 1944年4月15日[1]
最終出場 1944年8月27日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

辻 源兵衛(つじ げんべえ、1925年10月29日 - 1945年1月12日[2])は、和歌山県出身のプロ野球選手

海草中学時代は、1942年の全国中等学校野球大会に出場。年齢制限に抵触するため出場できなくなったエースの真田重蔵に代わる投手として出場した[3]1944年藤村富美男の勧誘で海草中を退学し、阪神軍に入団。基本的には外野手一塁手といった野手であったが、投手として出場もしている。しかしわずか1年しか在籍することができず、同年シーズン終了後に応召。翌1945年1月12日仏領インドシナ沖で乗っていた船が撃沈され、戦死した[2]。享年19。

東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。

辻は背番号が廃止された1944年のみの在籍となる。阪神で辻の他に同様の選手はおらず、辻は歴代阪神在籍選手で唯一背番号がないまま退団した選手である。

詳細情報

脚注

関連項目

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