海草中学時代は、1942年の全国中等学校野球大会に出場。年齢制限に抵触するため出場できなくなったエースの真田重蔵に代わる投手として出場した[3]。1944年に藤村富美男の勧誘で海草中を退学し、阪神軍に入団。基本的には外野手や一塁手といった野手であったが、投手として出場もしている。しかしわずか1年しか在籍することができず、同年シーズン終了後に応召。翌1945年1月12日、仏領インドシナ沖で乗っていた船が撃沈され、戦死した[2]。享年19。
東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。
辻は背番号が廃止された1944年のみの在籍となる。阪神で辻の他に同様の選手はおらず、辻は歴代阪神在籍選手で唯一背番号がないまま退団した選手である。