近平省悟
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宇和島東高時代は、2年秋の四国大会1回戦で高知商の藤川球児に投げ勝つも準決勝で敗れた。3年・夏の甲子園に出場。
近畿大学に進学後は、2年の時に、関西学生リーグ2000年秋の同大戦でノーヒットノーランを達成。最優秀選手にも選出された。リーグ通算36試合に登板、13勝12敗、防御率1.74、143奪三振を記録。同期に大西宏明、1学年下の投手に野村宏之、糸井嘉男、捕手に田中雅彦がいた。
その後、愛媛県のクラブチーム・松山フェニックスを経て、2005年7月30日付で四国アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに入団[1]。
入団1年目は11試合の登板で1勝5敗にとどまったが、入団2年目の2006年は32試合に登板し、チームでは浦川大輔(14勝)に次ぐ9勝をあげた[2]。2007年も前年に引き続いて先発陣の一翼を担ったが、シーズン中に肘を故障し、後期途中の8月31日付で登録を抹消された[3]。当時チームは香川オリーブガイナーズと首位を争っており、最終的に後期優勝を逃したが、監督の沖泰司はシーズン終了後にこの近平の離脱が響いたと記している[4]。ただし、規定投球回数は満たしており、防御率1.00で最優秀防御率のタイトルを獲得した[5][6]。