近藤守蔵 From Wikipedia, the free encyclopedia 近藤 守蔵(こんどう もりぞう、1885年〈明治18年〉4月30日[1][2] - 1942年〈昭和17年〉)は、日本の俳人[3]、弁護士[4][5]。鳥取県弁護士会副会長[5]。 鳥取県気高郡美穂村大字下味野(現・鳥取市)出身[1][6]。近藤寛次郎の長男[2][5]。近藤家は分家筋で、美穂村にて代々農業を営む[2]。1904年に鳥取一中を卒業[1]。1908年に第一高等学校を卒業[7]。 1912年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1]。東京有楽町で弁護士開業[2]。父親がやっていた朝鮮忠清北道の農場経営を手伝うため朝鮮にわたり、傍ら京城で法律事務所を開く[3][6]。 忠清北道官選道評議員に選ばれる[2]。1929年に郷里の鳥取に帰り、西町で弁護士事務所を開設する[3]。 人物 「鳥取県下法曹界の第一人者」と評される[2]。昭和御大礼には地方饗饌の光栄に浴し、紀念章を賜る[2]。日本赤十字社終身社員である[2]。 趣味は読書、旅行、長唄、俳句[5]。俳句は荻原井泉水派[1]。鳥取における自由律俳句の先駆者として有名だった[3][注 1]。 宗教は日蓮宗[5]。住所は鳥取市西町[5]。 家族 近藤家 父・寛次郎[5] - 1921年に死去[2]。 妻・ちか(1900年 - ?)[6] 長男[6] 二男[6] 三男[6] 四男[6] 長女[6] 二女[6] 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 鳥取の水田由蔵、米子の野坂寛治らと共に、この新俳句運動に情熱を傾けた[3]。 出典 1 2 3 4 5 『鳥取県人名鑑 昭和5年』コ265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『帝国現代人物誌 続編』116 - 118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 1 2 3 4 5 『因伯青春の系譜 鳥取一中の巻』121 - 122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 ↑ 『日本辯護士名簿』鳥取230頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 『大衆人事録 第12版』鳥取4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『因幡人事興信録』645頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 ↑ 『卒業生氏名』明治四十一年128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月29日閲覧。 参考文献 鳥取新報社 編纂『鳥取県人名鑑 昭和5年』鳥取新報社、1930年。 『卒業生氏名』第一高等学校、1931年。 『日本辯護士名簿』日本辯護士協會、1934年。 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1935年。 新聞贅六パック社編輯局 編『帝国現代人物誌 続編』東亜出版協会、1936年。 福田信治 編『因幡人事興信録』因幡人事興信録発行所、1937年。 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1939年。 鶴田憲次『因伯青春の系譜 鳥取一中の巻』鳥取西高等学校同窓会、1978年。 外部リンク とっとりデジタルコレクション - 近藤守藏 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。表示編集 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles