基輔は右大臣・近衛道経の長男として誕生し、侍従・中将などの官職を経て従二位まで昇進したが、その後は長期にわたり官位が停滞した。嘉禎元年(1235年)以降、基輔は非参議の公卿の中では筆頭(従二位・左近衛中将)の立場となり、この時同格であったのは鷹司兼忠[注釈 1](従二位・右近衛中将・越前権守)であった。基輔は寛元3年(1245年)に48歳で薨去するまで二位中将の地位に留まり、生涯を通じて参議や納言に任命されることはなかった。
『尊卑分脈』によれば、その子・道俊は祖父・道経の養子となり、延慶2年(1309年)に81歳で入滅したと記録されている。