近鉄百貨店東京店
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1974年(昭和49年)5月11日、近鉄流通グループの首都圏1号店として、東京近鉄百貨店が開業した。関東地方唯一の近鉄百貨店として近畿地方出身者などに親しまれており、吉祥寺に立地するため、吉祥寺近鉄とも呼ばれていた。
吉祥寺駅周辺は、1955年開店の緑屋吉祥寺店[注 1]、1971年11月10日開店の伊勢丹吉祥寺店(2010年3月14日閉店→現在のコピス吉祥寺)が立地し、当店開業の1か月後の6月20日には吉祥寺名店会館の跡地に東急百貨店吉祥寺店(テナントビル化を図って現存)が開店するほか、小規模な商店も多数立地する商業激戦区だった。
建物は文教都市の武蔵野市にふさわしく、シックな色調を取り入れた。工業デザイナーの泉真也がデザインしたアーチ、1階広場中央には小畠廣志制作のブロンド像「ユニコーン」、8階から屋上への吹き抜けのガラスドームの小鳥の楽園が設けられた。屋上は富士山が遠望でき、緑で埋め尽くされた屋上公園、木々に囲まれた流れる滝、アトラクション会場の「森の劇場」などを設置した。このように店舗全体にアミューズメント要素を持たせ、ファミリー層が楽しめる施設を目指した。
運営は1972年(昭和47年)4月5日に近鉄グループと三越が共同出資で設立し、岡田茂 (三越)など三越側も役員に名を連ねる株式会社東京近鉄百貨店が行っていた。しかし、開業当初の業績不振から、1976年(昭和51年)4月には三越からの出資や役員は引き上げて大衆化を図り[2]、債務超過を解消するために資本金を4億円から8億円に増資した。1977年(昭和52年)3月には資本金を16億円とさらに増資し、1・2・3階の大規模な改装を行い、32のショップを設けた[3]。その後、残りの階も改装し、8階には劇場も設けた。1982年2月期に経常黒字に転換したこともあり、1983年に直営化して近鉄百貨店東京店に改称している。
しかし、実際の来店客は中高年層に偏っていた。来店客層の若返りを促すため、1987年末から20代~30代の未婚女性を狙った改装を行い[4]、地下1階から地上7階の各階に新ブランドを導入した。
1990年代に赤字転落して以降も、比較的若い世代を狙った改装を行った。しかし、1996年(平成8年)に新宿貨物駅跡地(渋谷区)にタカシマヤタイムズスクエア(髙島屋新宿店)が開業したため業績がさらに悪化した。情報拠点として赤字でも残す方針だったが、京都近鉄百貨店との合併による上場後は赤字店が維持できないとして、社内での激論の末、2001年(平成13年)2月20日の閉鎖に至った。当時の社長・田中太郎によると、マーケットを見誤って中型店となってしまい、(最後に残る東急百貨店吉祥寺店のような)30000平方メートルを上回る大型店ではなかったことも要因とされる[5]。また、当店の裏は風俗店などが立地する近鉄裏として一時有名だったが、地元住民は図書館の誘致などを行って、拡大に歯止めをかけた[6]。