当時は文化大革命がまだ終わっていない状況だったので被災地の当局者は「救援食糧不要、救援金不要、救援物資不要」というスローガンを呼びかけた。このような風潮の下では直接的な、経済的および物質的支援はほとんど受け入れられなかった。全国から被災地に14万3千通以上の慰問の手紙が送られたので、16万人の住民のほぼ全員が手紙を受け取った。毛沢東思想で理論武装することですべての困難を乗り越えることができると信じられていたので、毛沢東に関連する種々な書籍やバッジも送られ、これによって被災地の人々が故郷を再建するための精神的支援とした。海外からの援助の申し出は完全に拒否され、国内からの援助さえも阻止された。
スローガンを唱え終わった後、人々は破壊された故郷再建の難しさに直面する事となった。食べ物に事欠くばかりか住宅などの再建も進まず、1〜2年間は藁束の下で雨風などを凌ぐことを余儀なくされた。しかも藁は燃えやすく、藁束に火が着いて命を落とす事案が震災後も後を絶たなかった。このように精神的"支援"は結局、望ましい効果をもたらさなかった。[3]