かつての演芸の世界の人材育成は徒弟制度そのものであり、お笑い芸人を目指す者は付き人として目上の芸人の下で長期間の下積み経験と修業を重ねるのが当然であるかの如き風潮が存在した。そういう点では遅咲きの方が一般的で、下積みや付き人の経験がほとんどないまま若くして売れっ子になる早咲きの人物は相当の異才であったといえる。また、前座としての初舞台そのものは早くても、一線級のタレントとして扱われる様になるまでに長期間を要した人物も枚挙に暇がない。
しかし、1980年代以降、若くしてレギュラー番組を持つようになったとんねるずやダウンタウン、近年ではキングコングやオリエンタルラジオ等の登場や、従来の徒弟制度からは基本的に切り離された養成所という形で即戦力を育成することを目的にした吉本総合芸能学院の出身者が業界を席巻したことによりその概念も薄れつつある。また、近年のお笑いブームにおいては、お笑い芸人においても笑いとルックスが同時に求められる傾向が強まり、吉本系のみならずとも尚更に前記のような現象に拍車をかけている。他方で、遅咲きの異才の例としては、九州で複数の職業を転々とし、山下洋輔や赤塚不二夫らに見出されて30歳で芸能界に足を踏み入れたタモリが知られている。
アイドル歌手全盛期のアイドルタレントは遅咲きとは逆にトップに躍り出るまでの期間の短さが重要視された。この場合は「鮮度」、すなわち歌手デビュー(=芸能界デビュー)からランキング歌番組の上位の常連となるまでの期間の短さ・発売したシングル曲の少なさが成功のための鍵であるとされていたが、アイドル全盛期の柏原芳恵は初のベスト10入りするまでに7曲、同様に石川ひとみは10曲を要している。
ミュージシャンにおいては女性ソロアーティストのメジャーデビューは10代後半だが、演奏技術に一定の完成度が求められるロックグループは20代前半が最も多い。それ以降は比較的遅咲きと目されることが多い。もっとも、60年代から70年代の欧米のロックグループのメンバーの平均デビュー年齢は23.5歳であるが、ストラングラーズのジェット・ブラック(デビュー時37歳)のような遅咲きのロックミュージャンは1970年代から存在した。また、欧米でも日本でもロックの若者文化としての性格が薄れていった1990年代以降は、その才能次第ではあるが、三十代目前あるいは三十代入りして、ようやくプロミュージシャンとして一本立ちできる者や、メジャーレーベルとの初契約が成るという者もそれほど珍しいものとはいえなくなっている。ただし、CD不況以降はメジャーレーベルとインディーズ、さらに言い換えれば音楽一本で生計を立てているプロと音楽以外にも生計を立てる為の収入を持つセミプロの境界線が曖昧になってきている一面もあり、そもそもプロミュージシャンという概念自体について一概な事は言いにくくなっている面がある。
作曲家等のクリエイター部門においては普通のミュージシャンよりもデビューが遅い者が多く、令和では30代・40代で活動を始める者も多い。
遅咲きの俳優は演技力に優れている場合が多いとされているがそうでない場合もある。逆に演技力とはまた別の形で年齢と共に固有のキャラクター性に対する評価が得られ、個性派の俳優やタレントとして才能が開花する場合もある。極端な例としては1980年代に、それまで半世紀以上を脇役として過ごしていたところ、80歳を超えてから突然に「おばあちゃんアイドル」としてバラエティ番組を中心に人気を博した浦辺粂子が挙げられる。また外国では45歳で初ブレイクしたマ・ドンソク等が存在する。
テレビアニメ・洋画の吹き替えなどで声を当てている声優については、一般的には高校や大学の卒業後にさらに声優養成所に通い卒業してから事務所に所属し、幾つもの番組のオーディションを受けてその中で採用されての出演であり、その様な経緯を辿った人物はほとんどが20代でのデビューとなる。デビュー後の数年間は脇役やがやとして下積みのキャリアを積むことも多く、多くは初めてテレビアニメで主役級・準主役級のキャラクターを配役されサブカルチャーの分野で知名度が大きく伸び始めた時点で20代半ばから後半、場合によっては30代に入ってからとなるなど、本質的に遅咲きの業界体質ということがいえる。さらには、若本規夫の様に30歳目前に声優となったが長く雌伏の時期を過ごし、50代も半ばになってから突然個性が評価されて人気となり急激に出演が増えた例もある。児童劇団所属や子役から声優業に転じた者、「ジュニア声優部門」など声優事務所が十代前半の者を対象に開講している養成部門の在籍中に抜擢を受けた者、メディアミックス関連企業が主催する公開オーディションイベントの上位入賞などといった経緯で声優業界に入った者などには、十代から主役級の役を得て活躍する「早咲き」となる者も見られるものの少数例の範疇である。