『運命の女神の歌』は、ヨハネス・ブラームスが最後に作曲した合唱と管弦楽のための作品である。『アルト・ラプソディー』から10年以上経った後、ブラームスは再びゲーテのテキストを取り上げた。ブラームスはウィーンのブルク劇場でイフィゲニア役を演じていた女優シャルロッテ・ウォルターにイマジネーションを得てこの作品を作曲したともいわれている。
この作品は、1882年の夏、ブラームスが保養地バート・イシュルに滞在していた時期に大部分が作曲された。ブラームスは同年の5月から6月にバート・イシュルで2つの室内楽曲(ピアノ三重奏曲ハ長調作品87、弦楽五重奏曲ヘ長調作品88)を完成させている。『運命の女神の歌』は7月末までに短縮版は完成した。 8月1日、ブラームスは「ごく簡単なスケッチ」と表現した原稿を友人であり医師で音楽愛好家のテオドール・ビルロートに送ったところ好評を得て、1882年8月6日に次のように返信している。「あなたの賛同の言葉が私にとってどれほど重要で、どれほど感謝しているか、想像もつかないでしょう。人は自分が何を望んでいたか、どれほど切望していたかを知っています。実際には、それがどうなったかも知っているべきなのですが、人は他人に教えてもらい、その優しい言葉を素直に信じる方が好きなのです」[3]。
ゲーテの戯曲『タウリス島のイフィゲーニエ』からの抜粋は第4幕の終わり(1726~1766行)にあり、イフィゲーニエが幼い頃に乳母に歌ってもらった歌を回想する独白である。タンタロスの館の物語を題材としたこの劇では、イフィゲーニエの内なる葛藤が激化していく。ピュラデスはタウリス王に嘘をついて逃亡する時間を稼ぐようイフィゲーニエに迫る。ブラームスが1871年に既に作曲していたヘルダーリンの「運命の歌」と主題的に関連のあるこの作品は、恍惚とした神々の世界と、見捨てられた人を描いている。
初演は1882年12月10日、バーゼル音楽ホールにて、バーゼル合唱協会と市立音楽協会管弦楽団の演奏で行われ、作曲者自身が指揮を務めた。コンサートは大成功を収め、翌年も再びプログラムに組み込まれた。その後、ストラスブールやクレーフェルトといった都市でも成功を収めた。しかし、1883年2月18日のウィーン初演では、この『運命の女神の歌』はさほど好評を得られなかった。同年4月2日、献呈を受けたザクセン=マイニンゲン公ゲオルク(ブラームスの友人)の誕生日コンサートで、マイニンゲンにて演奏された。
「運命の歌」の最初の出版(スコア、ピアノ編曲版、合唱パート、管弦楽パート)は、1883年2月にベルリンのN・シムロック社から作品番号89として出版された。
「運命の歌」の現存する最古の録音は、1948年11月27日のラジオ放送で、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、NBC交響楽団、ロバート・ショウ合唱団によるものであるが、LPレコードとして発売されたのは1968年になってからである(RCAビクター)。初の本格的な録音は、1951年にヘンリー・スウォボダ指揮、ウィーン交響楽団、ウィーン室内合唱団によってリリースされた。1972年には、ハンス・スワロフスキー指揮、スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団による録音が続いた。1980年代以降、さらに多くの録音がリリースされており、この作品への関心の高まりを示している。