遠山参良
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慶応2年(1866年)1月13日、肥後国八代郡鏡町(現熊本県八代市)生まれ。9歳で熊本洋学校へ入学したが廃校になり、翌年キリスト教熊本バンドの岡田松生に連れられて京都同志社英学校に転学、その後嘉悦氏房の広取英学校、岡田松生の岡田英学校を経て、18歳で長崎のメソジスト派宣教師が設立したカブリ学校(現鎮西学院)へ入学し、22歳で卒業[1]。同校の教師を経て明治25年(1892年)アメリカに留学。メソジスト監督教会派のオハイオ・ウェスリアン大学で生物学を学び、理学修士を習得して30歳の時に帰国、再び鎮西学院で教鞭をとった[1]。明治33年(1900年)夏目漱石の後任として第五高等学校英語科主任となる。生徒監や弁論部部長も兼務し10年近く務め、その後も講師として死ぬまで貢献した。明治44年(1911年)九州学院初代院長に就任。夏目漱石と会った直後の汽車の中で九州学院の創始者チャールズ・L・ブラウンと知り合ったという。昭和7年(1932年)10月9日死去。67歳。
ほかに長崎の鎮西学院、活水女子専門学校、活水女学校、福岡女学校(理事長)、九州女学院の相談役と多くの教育事業に貢献した。昭和32年(1957年)、熊本県近代文化功労者に選ばれた[2]。
