のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した[1][3][4]。
1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ[5]、同年9月28日の任期満了まで一期在任した[2]。その他、簸川銀行頭取などを務めた[2][3][4]。
公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った[1]