遠藤慎司
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紀州藩士の子として和歌山城下の藩邸で生まれ、藩主に従って江戸に遊学した[2]。1877年(明治10年)より陸軍省に出仕し、会計局に勤務した。1881年(明治14年)よりドイツに留学し、会計学を学んだ[2]。帰国後の1885年(明治18年)に陸軍大学校教官を兼務し、お雇い外国人クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルの通訳を務めた[1]。1890年(明治23年)に陸軍経理学校が設立されると教官に任命された。日清戦争が発生すると第二軍経理顧問として従軍し[2]、さらに台湾総督府中央会計部長心得、台湾兵站監督部長を歴任した。その後、1896年(明治29年)と1901年(明治34年)の二度にわたって陸軍経理学校校長に就任した。1904年(明治37年)、日露戦争が発生すると経理局主計課長から遼東守備軍経理部長に就き、翌年には韓国駐箚軍経理部長に転出した[1]。1910年(明治43年)に予備役に編入された。
1915年(大正4年)、和歌山市長に選出され、2期8年務めた。在任中は上水道の整備、共同墓地・公設市場・職業紹介所の設置、市営住宅の建設[1]、公園改良、市役所移転、市公会堂建設に取り組んだ[2]。
