遠藤未希
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東日本大震災
遠藤は宮城県志津川高等学校を経て[1]、介護の仕事を志して仙台市内の介護専門学校に入学したが[3]、母親の勧めもあって地元の宮城県南三陸町役場に就職した[4]。
旧志津川町は頻繁に津波被害に遭っていたことから防災への関心は高く、2005年10月に合併して南三陸町となった後、危機管理課が新設されており[2]、遠藤は勤続4年目の2010年4月に、この危機管理課に配属された[4]。彼女は震災の犠牲となるまで、4年間役場に勤めており、震災の当時は24歳であった[5]。
2010年7月17日、専門学校で知り合った同年代の男性と結婚した[6][7]。2011年9月に結婚式を挙げる予定であった[7]。

2011年3月11日、 東日本大震災発生時に、遠藤はいち早く、持ち場である南三陸町防災対策庁舎の2階で防災無線を使用し、防災無線で地域に避難を呼びかけ続け、自身は津波の犠牲となった[8]。
庁舎の屋上に避難した約40人のうち、屋上にあったアンテナにしがみついて生存したのは佐藤仁町長らわずか11人であった[9]。遠藤は自らの命を犠牲として多くの命を救ったとし、多くの日本のニュースで賞賛された。 遠藤の遺体は宮城県志津川湾で、2011年4月23日に捜索隊によって発見された[10][11]。5月2日、DNA型鑑定で最終的に遠藤本人の遺体と断定された[12]。
3階建ての庁舎は倒壊は免れたが、構造物の大部分は押し流され、鉄骨のみが残っていた[13][14]。庁舎の写真は、建物が屋根まで完全に浸水したことを示しており、一部の人々は屋上にあるアンテナにしがみついて生存した[15]。