選挙君主制

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選挙君主制(せんきょくんしゅせい)は、君主世襲や君主の指名ではなく、選挙によって選出される政治体制のこと。

概要

世襲によらない君主を何らかの形で選出し、推戴する制度は歴史上ヨーロッパの王国からアフリカ部族国家まで世界中で広範に見られ、選挙の方法や被選挙権者、選挙権者の範囲は時代や国によって大きく異なる。時代を経るごとに世襲君主制に移行した例も多いが、ヨーロッパでは実質的に世襲君主制に移行したものの、公式には選挙君主制を維持していた例もある。

現代

選挙君主を持つ君主制国家

マレーシア

マレーシア国王は5年の任期制であり、連邦を構成する13州のうち9州の君主の互選制である。原則的には輪番で国王に選ばれることが慣行となっている。ヌグリ・スンビラン州では、州の君主であるヤン・ディプルトゥアン・ブサール英語版が州内の地域首長であるウンダン英語版の選挙で選ばれ、そのウンダンもまた地域内の長老により選出される。

カンボジア

カンボジア国王は、ノロドム家英語版シソワット家英語版の2つの王家のメンバーから、立法府の正副議長と首相上座部仏教2宗派の指導者からなる王室評議会英語版が終身の国王を選出する[1]

アンドラ

アンドラは、ウルヘル司教およびフォワ伯英語版の後継者が国家元首である共同公となる共同君主制英語版国家である。フォワ伯の継承権はフランス国王に渡り、その後フランスの国家元首に移った。フランスの国家元首であるフランス共和国大統領は民選の国家元首であり、フランス国民が選挙によって決定する。

サウジアラビア

サウジアラビアでは、2006年から一部の王族で構成された忠誠委員会英語版皇太子を選出することが定められている。ただし国王による恣意的な任命・廃位も行われており[2]、委員会が機能不全となっているという指摘もある。

選挙君主に類似した政体の国家

アラブ首長国連邦

アラブ首長国連邦は7つの絶対君主制をとる首長国からなる連邦であり、5年の任期を持つアラブ首長国連邦大統領と副大統領(首相兼任)は7人の首長で構成される連邦最高評議会英語版によって選出される。建国以来アブダビ首長国ナヒヤーン家の首長が大統領、ドバイ首長国の首長が副大統領となっている。連邦政府の権限は比較的小さく、各首長国の権限が強い。

バチカン

カトリック教会の首長であり、絶対君主制ともされるバチカン市国の元首でもある教皇は、枢機卿によるコンクラーヴェで選出される。

サモア

サモアの5年任期の国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マーローは、独立以来立法議会が指名することとされている。ただしこれまで選出されてきたのは、伝統的な4大首長(タマ・ア・アイガ)の人物である。サモアの政体については君主制であるという意見もあるが、共和制であるという意見もある。

緊急時の継承者選定

君主が後継者を定めないまま死亡した際や、すでに定められている継承順位を満たす継承者が絶えた場合などには、君主や継承者を選出する権限を議会等にあたえる規定が憲法等で設けられている国もある。

オランダでは国王が後継者を定めないまま死亡した際には議会が解散され、選挙後に組織された第一院第二院で合同決議を行って国王を選出する[3]ノルウェーでは王位継承権をもつ者が絶えた際に、国王の指名した人物についてストーティング(議会)が同意しない場合、議会が後継の国王を選出することが定められている[4]スペインでは正当な王位継承者が絶えた場合には国会が王位継承者を選出する[5]

タイにおいては国王が後継者を指名しないまま空位となった際には枢密院が国王候補を選定し、国民議会が承認する[4]ヨルダンでは国王が皇太子を指名するが、王家に男子がいない場合には議会が一定の順序に基づき国王を指名することができる[6]モナコでは継承権を満たす者が存在しない状況になった場合には公爵評議会がモナコ公を選出する[7]

クウェートでは首長が即位後に太子を指名するが、国民議会の承認を受ける必要がある。ただし国民議会が承認しない場合は、首長がサバーハ家の人物から3人の候補者を選択し、国民議会がその中から太子を指名する。

過去の例

古代ローマ

王政ローマでは王は終身だが世襲ではなく、原則として市民集会が選挙でローマ市民権を持った者の中から選出した。選出は必ずしも家系や身分によらず、市外の者が選出された例もある。王の一族は貴族(パトリキ)となる。 ローマ帝国ビザンツ帝国においてもローマ皇帝元老院により選出される第一の市民(プリンケプス)とされ、前皇帝との血縁は必要とされなかったため選挙君主制の一形態とされている。

イングランド

七王国時代からイングランドではウィタン(賢人会議)と呼ばれる王妃や王子、司教などを構成員とした会議が存在したが、その権能の一つとして「王を選ぶ(ceosan to cynige)」という特権があったとされる。

ノルマン・コンクエスト後のイングランド王国では、イングランド議会によって王の即位・廃位が行われた事例がある。1399年リチャード2世ヘンリー4世の攻撃によって敗れた。リチャード2世は議会によって廃位され、ヘンリー4世が王に選出された。1689年名誉革命では、ジェームズ2世と対立した議会がネーデルラント連邦共和国総督妃メアリー2世を擁立しようとした。ジェームズ2世は敗北したため廃位され、メアリー2世とウィリアム3世が擁立された。

モンゴル帝国

モンゴル高原の遊牧民の間ではクリルタイにより部族の代表者たるハーンを選出する伝統があり、モンゴル帝国においてもチンギス・カンは一族や有力部族長の推戴を得て皇帝(カアン、ハーン)に選出されている。後のカアンは全員チンギス・カンの子孫の中から選ばれているが、カアン継承には長子相続や末子相続のような決まったルールは無く、クリルタイで帝国内の支持を集めた人物が選出されていた。

神聖ローマ帝国

神聖ローマ帝国は諸王国・領邦・自由都市等の国家連合であり、選帝侯と呼ばれる諸侯・聖職者がローマ王を選出し、ローマ王が教皇から戴冠されて帝位を兼ねる体制であった。ハプスブルク家が帝位を占めるようになると、皇帝が帝位を維持したままローマ王選挙で嫡子を選出させる方法も利用された。オーストリア継承戦争時にはヴィッテルスバッハ家カール7世が選出されたが、一時的なものに終わった。

ハンガリー王国

ハンガリー王国は1301年のアールパード朝断絶後は選挙王制となった。1526年にハプスブルク家のフェルディナント1世が即位して以降は事実上ハプスブルク家の独占となった。1687年、モハーチの戦いで勝利したことで、ヨーゼフ1世が世襲王としてのハンガリー国王に即位した。

ボヘミア王国

ボヘミア王国は13世紀からボヘミア王冠領を構成する諸領邦における選挙君主制をとっていたが、ハンガリーと同様にフェルディナント1世以降はハプスブルク家に独占された。三十年戦争時にはプファルツ=ジンメルン家フリードリヒ冬王が一時的に選出された。

ポーランド・リトアニア共和国

ポーランド・リトアニア共和国最後の国王スタニスワフ2世を選出した国王自由選挙(1764年)

ヤゲウォ朝断絶後のポーランド・リトアニア共和国では法的にも実質的にも選挙君主制が行われており、国王自由選挙により国内外の有力者が国王に選出された。これは大貴族(マグナート)による実権の掌握と王権の著しい弱体化につながり、諸外国の干渉も招いた。そのため末期には改革の動きもあったが、第3次ポーランド分割によって国家そのものが消滅することで終焉に至った。

脚注

参考文献

関連項目

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