久邇邦昭
日本の旧皇族
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略歴
1929年(昭和4年)3月25日午後3時35分、東京帝国大学医学部付属病院にて、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王子として誕生[2]。御七夜の3月31日に「邦昭」と命名された[3]。1935年(昭和10年)4月、学習院初等科に入学、戦時中は海軍兵学校(77期)へ進むが、途中で終戦となる。戦後は、連合国軍占領下において、1947年(昭和22年)10月14日に他の皇族と共に臣籍降下(皇籍離脱)した[4]。1951年(昭和26年)3月、学習院大学政治経済学部卒業後、川崎汽船に勤務し、取締役を務めた。同社退職後は、伊勢神宮の大宮司(1990年 - 2001年)、神社本庁統理(2001年 - 2011年)、霞会館理事長(1991年 - 2007年)[5]、日本会議顧問[6]などを務めた。伊勢神宮の大宮司に就任するにあたり、雅楽を研究するため武蔵野音楽大学に入学、卒業した。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]