仙厳園では数十人の女中が住んでいた。そこでは、それぞれの各人の部屋が用意されており、1882年には電気が通っていた。子供たちは基本的に教育係に育てられていた。夫島津忠義は基本的に夜9時まで起きていたので子どもたちと遊んでから寝ていた。その中で、彼女はお香合わせの司会を行っている。孫の筑波藤麿によれば、母は中條千枝子(山階宮晃親王側室)等と一緒に上京するまで、島津忠重の鎌倉の別荘に住んでいる寿満子を訪れていたそうなので、中條千枝子が死去する前には少なくとも、鎌倉の別荘に避暑していたようである[3]。少なくとも1910年には三光町に住んでいたようである。[4]