郝晷

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郝 晷[1](かく き、生没年不詳)は、五胡十六国時代の人物。太原郡の出身。

前燕に仕え、散騎侍郎に任じられていた。

建熙10年(369年)10月、前燕と前秦は誼を結んでいたため、使者が両国間を往来していた。郝晷は前秦に度々使者として来訪していた。郝晷は前秦の尚書令王猛と以前から交友関係にあった。王猛は郝晷に前燕の様子を問うた。郝晷は前燕が滅ぶと見ており、王猛に自身を託そうと密かに考えて、前燕の現状を包み隠さず話した。

前燕が滅ぶと前秦に仕えた。

建元8年(372年)2月、清河相に任じられた。

淝水の戦いに大敗した前秦は混迷の極みにあり、郝晷は冀州諸郡の人々を集めて部曲として河南に拠り、翟魏の官爵を受けていた。

建興6年(391年)、翟魏が後燕に敗れるとこれに降った。後燕皇帝慕容垂は適材の任に就かせた。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

人物・逸話

脚注

参考文献

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