都筑馨六

日本の官僚、外交官、政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

都筑 馨六(つづき けいろく、万延2年2月17日[1]1861年3月27日〉- 1923年大正12年〉7月6日)は、日本官僚外交官政治家貴族院議員枢密顧問官法学博士男爵位階正二位勲等勲一等都築と表記される場合がある。

生年月日 1861年3月27日
万延2年2月17日
出生地 江戸幕府上野国群馬郡稲荷台(現:群馬県高崎市
没年月日 (1923-07-06) 1923年7月6日(62歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
都筑 馨六
つづき けいろく
生年月日 1861年3月27日
万延2年2月17日
出生地 江戸幕府上野国群馬郡稲荷台(現:群馬県高崎市
没年月日 (1923-07-06) 1923年7月6日(62歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本神奈川県鎌倉郡鎌倉町長谷笹目ヶ谷(現:鎌倉市笹目町
前職 外務官僚
称号 正二位
勲一等旭日大綬章
男爵
配偶者 光子(前妻)
静子(後妻)
子女 忠春(長男)
在任期間 1909年2月23日 - 1923年7月6日
在任期間 1903年7月24日 - 1908年7月24日
在任期間 1899年4月19日 - 1909年2月27日
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生涯

上野国高崎藩稲荷台(現:群馬県高崎市)の名主・藤井安右衛門(のち安治)の二男として生まれる[1][2]。満1歳を迎える前に西条藩士・都筑侗忠の養子となり、渋谷の藩邸で暮らすこととなった[2][1]。幼少期から同藩士・阿曽沼正六綱義に素読の教えを受け[1][2]、10歳のときからは新堀町の千村塾に通った[1][2]。さらに横浜の修文館カロザース築地大学校で学ぶ[1][2][3]。15歳のときに東京開成学校へ入学[1][2]1881年明治14年)7月、旧東京大学文学部(政治理財学専攻)を卒業した[4][2]。同窓には坪井九馬三嘉納治五郎がいた[4]。翌1882年(明治15年)、文部省留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学政治学を学んだ[5][2]

1886年(明治19年)に帰国し、外務省に入り公使館書記官兼外務省参事官に任命される[6][2]。さらに外務大臣井上馨秘書官に就任[6][2]1888年(明治21年)よりフランスパリ留学する[7][2]。翌1889年(明治22年)山縣有朋内務大臣の欧米巡回に随行者として加わった[7][2]1890年(明治23年)山縣首相のもとで内閣総理大臣秘書官に就任[8][2]。さらに内務省参事官を兼任し[8][2]法制局参事官にも任命される[9][2]

1892年(明治25年)行政裁判所評定官を兼任[10]。この年、井上の養女・光子(男爵新田俊純の二女)と結婚[11]。しかし1916年大正5年)に離婚[11]芝・紅葉館給仕であったの静子(旧姓不詳)を妻とした[要出典]1915年(大正4年)には嗣子の忠春をもうけている[10]

その後、1893年(明治26年)より法典調査会査定委員を務める[9]1894年(明治27年)内務省土木局[12]1896年(明治29年)宮内省図書頭に任命され、山縣特命全権大使の随員としてロシアに赴き、モスクワニコライ2世の戴冠式に出席している[13]1897年(明治30年)文部次官に任命され[14][2]第2次山縣内閣外務次官に任命される[14]

1899年(明治32年)4月19日、貴族院勅選議員に任じられ[15][10]1909年(明治42年)2月27日[16][10]まで在任。1900年(明治33年)に伊藤博文立憲政友会を結成するにあたっては創立委員の一人としてこれに参加している[17]1903年(明治36年)7月、伊藤が枢密院議長に就任したのに伴って、枢密院書記官長に就任した[17]1907年(明治40年)には特命全権大使に任じられてオランダ王国ハーグで開催された第2回万国平和会議に出席[18][2]ハーグ密使事件の対応にあたっている[18]。同年6月、法学博士号を授与された[18]

1908年(明治41年)8月、男爵を叙爵し、勲一等旭日大綬章が授けられた[10]1909年(明治42年)2月23日、枢密顧問官に任命される[19][20]。以後その死まで在職した[20]

1923年(大正12年)7月5日、鎌倉の別邸で死去した[21]。危篤の報により同日正二位に叙せられている[21]享年63歳[21]。同月8日、穂積陳重を葬儀委員長として告別式が営まれ、千駄ヶ谷町日蓮宗仙壽院に葬られた[21]法号は大法院殿了達馨光日華大居士[21]

栄典

位階
爵位
勲章等
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外国勲章佩用允許
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受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1896年(明治29年)10月26日 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 神聖スタニスラス第一等勲章英語版[42][10]
1902年(明治35年)3月15日 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 神聖アンナ第一等勲章英語版[43][10]
1902年(明治35年)3月15日 イタリア王国の旗 イタリア王国 王冠第一等勲章英語版[43][10]
1904年(明治37年)4月18日 大韓帝国 勲一等太極章[44][10]
1904年(明治37年)9月26日 プロイセンの旗 プロイセン王国 聖章附赤鷲第二等勲章英語版[45][10]
1908年(明治41年)2月21日 オランダ オランダ王国 第二回平和会議記念章オランダ語版[46]
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親族

伝記

  • 馨光会編『都筑馨六伝』馨光会、1926年。

脚注

参考文献

外部リンク

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