1955年、鄭州で周囲約7kmにおよぶ殷代の都市遺跡が発見された。東壁と南壁はともに約1700m、西壁は約1870m、北壁は約1690m。城壁は一定の長さの版築層をつなぐ工法で築造されており、基底部の幅はおおむね10m - 20m。四面の城壁には合わせて11の切れ目があり、そのうちのいくつかは城門と関係があると考えられる。
城内は宮殿区と一般居住区に分かれ、手工業の工房や墓地は城外に点在していた。宮殿区は城内中央のやや北寄り、および東北部一帯にあり、これまでに20カ所以上の版築基壇が発見されている。
給水施設は宮殿城壁の北側4mのところに城壁と平行に設けられている。地下水道は、草わらを混ぜた泥と石板で築かれ、その平面は長方形、断面は逆台形であり、幅は上部で11m、下部で3mあった。給水施設は1992年に発見された貯水池につながる。貯水池の規模は東西100m、南北20mで、池底には石板が敷きつめられていた。
手工業の工房遺跡は、城外の4カ所で発見されている。銅器製作工房は、南壁外ならびに北壁外でそれぞれ1か所発掘され、銅器鋳造用のるつぼや土製の鋳型が出土している。土器製作工房は、西壁外で1か所発掘され、14の窯跡から叩き具・杵・あて型などの道具が出土した。骨器製作工房は、北壁外で1か所発掘され、出土した骨材には、牛や豚の骨のほか、人の脚の骨も含まれていた。
城外東南隅の穴蔵からは13点の銅器が出土した。また城をとりまく白家荘・人民公園・南関外などで100基あまりの墓が発掘されている。