鄭瑪諾
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鄭瑪諾に関する文献はほとんど Rouleau (1959) によっている。それによれば、鄭瑪諾は父の代からのキリスト教徒で、ヨーロッパに行くアレクサンドル・ドゥ・ロードに連れられて[3]1645年にマカオを出発した。まずアルメニアにあるドミニコ会の修道院にあずけられ、そこで半年学んだ後、1650年にローマに到達した。ローマ、ボローニャ、およびポルトガルのコインブラ大学で学び、1664年に司祭に叙階された。
1666年にリスボンを出発した。船には別の Nicolau da Fonseca というマカオ生まれの中国人(中国名不明)が同乗していた[4]。1668年にマカオに戻ったが、当時の中国はキリスト教弾圧(康熙暦獄)が行われている最中だった。翌年ひそかに広州にはいった。弾圧が終了した後、1671年に北京に移ったが、1673年に病死した。