本貫は河東鄭氏で、生地は現在の韓国全羅南道海南郡玉泉面大山里。字は昌辰(しょうしん)、諡名は忠壮公、生地に彼を祀った「忠臣閣」がある。父は全羅南道霊巌郡出身の訓錬参軍鄭応禎。明暦・隆慶5年(1571)甲午(5月)武科に合格した。文禄の役(1591年)の際、鹿島万戸(軍官=将の階級)となり舟師を率いて李舜臣の部下に属し、随所で勝利したが、釜山浦海戦(1592年9月1日)で被弾し戦死。その後、李氏朝鮮は廟を鹿島に立て、田を給して祀った。
- 1543年(中宗38年) 海南郡玉泉面にて生まれる
- 1571年(宣祖3年)5月 武科に合格
- 1583年(宣祖15年) 熊川県監となる
- 1591年(宣祖24年) 鹿島万戸となる
- 1592年(宣祖25年=天正20年)