鄭阮

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鄭 阮(てい げん、生年不詳 - 937年)は、五代十国時代軍人官僚本貫洺州[1]

若くして洺州の牙将となった。晋王李存勗が山東を経略すると、鄭阮は李存勗に帰順し、軍職を歴任した。鄭阮の子が幼くして安重誨に仕え、安重誨に可愛がられた。天成元年(926年)、後唐明宗が即位すると、鄭阮は鳳翔節度副使に抜擢された。長興3年(932年)、潞王李従珂が鳳翔節度使となると、鄭阮は李従珂と親しくつきあった。清泰元年(934年)、末帝(李従珂)が即位すると、鄭阮は趙州刺史となった。鄭阮は貪欲で汚職を好み、民間の小さな事件でも、みな取り調べて摘発し、賄賂を納めさせて贖罪させた。ある属県の県令が過料の徴収の命を拒んだため、鄭阮はひそかに人を集めて県令の過失を追及させ、のちにかれを停職させた。ほどなく曹州刺史に転じた。その統治はますます酷いものとなった。天福元年(936年)、後晋の高祖石敬瑭が起兵して洛陽に入ると、鄭阮は曹州から入朝した[2]。12月3日(937年1月17日)[3]、曹州指揮使の石重立に一族もろとも殺害された[4]

脚注

伝記資料

参考文献

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