里見家基

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時代 室町時代後期
生誕 応永16年(1409年)?
官位 刑部少輔、修理亮
 
里見 家基
時代 室町時代後期
生誕 応永16年(1409年)?
死没 永享11年2月10日1439年3月24日)?
嘉吉元年4月16日1441年5月6日)?
官位 刑部少輔、修理亮
氏族 里見氏
父母 父:里見家兼
兄弟 家基満俊[1]、満行、満氏、家成
基宗[2]?、家氏?、義実?、海保氏義
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里見 家基(さとみ いえもと、応永16年(1409年)? - 永享11年2月10日1439年3月24日)あるいは嘉吉元年4月16日1441年5月6日))は、室町時代武将。官位は刑部少輔、修理亮。

家基は常陸国茨城郡宍戸荘小原城を拠点とした小原里見氏の出身[3]鎌倉公方奉公衆としての里見氏の初見は正平20年(1365年)であり、足利基氏の下で里見殿散位師義六波羅蜜寺に馬を奉納している[4]。『永享記』によると、永享の乱で死亡した里見治部少輔は稲村公方足利満貞の馬廻衆を務めていたとされる。『鎌倉大草紙』によると、父の家兼康暦元年(1379年)に足利氏満から所領を安堵されたという。

生涯

脚注

参考文献

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