里見成義

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 室町時代後期
生誕 文安5年(1448年
別名 義成
 
里見成義
時代 室町時代後期
生誕 文安5年(1448年
死没 永正2年4月15日1505年5月18日
別名 義成
墓所 千葉県南房総市白浜町白浜2134 青根原神社
官位 刑部少輔、左衛門佐
氏族 安房里見氏
父母 父:里見義実?、
兄弟 成義成頼義秀元近中里実次
土岐頼元の娘、三浦横須賀連秀の娘
義富義通?、実堯?、東条実倫正木時綱
特記
事項
上記記述は系譜による。史料的には架空説も有力である。
テンプレートを表示

里見 成義(さとみ しげよし)は、室町時代後期の武将安房里見氏2代目当主とされる人物。名前は義成(よししげ)とも記される。後世に編纂された系譜や軍記物にその名が見られるが、史料上で実在したという裏づけが取れないため、系譜に付け加えられた架空の人物とする説が主流となっている。しかし成義の存在を架空とすると、里見氏の系譜関係を著しく不自然にする事情[注釈 1]などから、実在を支持する説もある。

系譜上の里見 成義は、安房里見氏2代当主。里見義実の長男である。諱の「成」の字は古河公方足利成氏から拝領したものとされている。

名前に関して、大野太平は成義が正しいとするが、佐藤博信はこれを疑問視し義成の可能性が高いとする[1]

稲村城を築城、上総国への進出をおこなった。また娘を正木時綱に嫁がせ、正木氏と縁戚関係を結んだ。

男子には里見義通(長男)、里見実堯(次男)がいる。成義が没すると、義通が第3代当主となった。

里見成義の実在に対する疑義

里見成義を題材とした作品

脚注

Related Articles

Wikiwand AI