野呂正景 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 安土桃山時代生誕 天文5年(1536年)?死没 天正5年9月14日(1577年11月4日)?別名 猪乃丞 凡例野呂正景時代 安土桃山時代生誕 天文5年(1536年)?死没 天正5年9月14日(1577年11月4日)?別名 猪乃丞戒名 定全、浄全主君 北畠具教、徳川家康氏族 三枝部氏伊勢平氏季衡流?父母 野呂友景妻 北畠具教の娘子 守景、伏見長景、勝景、行景テンプレートを表示 野呂 正景(のろ まさかげ)は、安土桃山時代の武将。 代々伊勢国司北畠氏に仕える。自身も北畠具教に仕えたが、その没落後は伊勢を退去し、天正3年(1575年)遠江浜松に流れて徳川家康に仕えた。最期は駿河三枚橋で松平康親の配下となって黄瀬川にて戦死した。渡辺守綱と功を争ったとされる。家督は長男の守景が継承して300石で引き続き徳川氏に仕えた。 戦死の時期は天正5年(1577年)で武田氏との合戦の事というが、その時期に駿河三枚橋で徳川氏と武田氏の間の合戦があったという記録がない[1]ことから、これは天正10年(1582年)の天正壬午の乱の事で、戦った相手も後北条氏ではないかという説もある。また享年も42歳説のほか、43歳説がある。 脚注 ↑ この時期は武田氏の築いた三枚橋城を巡って武田氏と後北条氏が争っている。 出典 「寛政重修諸家譜」巻第1153 『日本歴史地名大系』22巻 静岡県の地名(平凡社、2000年) Related Articles