野尻宗泰
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出自
天文21年(1552年)2月[7]、河内上郡代の萱振賢継が下郡代の安見宗房により粛清され、萱振氏に同心する野尻治部も除かれた[8]。その後、安見宗房の子が野尻氏を継承しており[9]、『言継卿記』天文23年(1554年)3月8日条に「遊佐内安見之子野尻満五郎十四歳」と記されている[10][注釈 1]。馬部隆弘はこの宗房の子を後の野尻宗泰に比定し[2]、一方、弓倉弘年は同一人物かどうか不明と述べるにとどめている[11]。
名前について『言継卿記』や『厳助往年記』には「満五郎」とあるが、天文24年(1555年)の多賀大社梵鐘銘に「野尻孫五郎」とあることから、馬部隆弘は「孫五郎」が正しい表記であるとする[2]。また、孫五郎は宗房の嫡子だったとみられる[12]。
天文20年(1551年)には、宗房の子息が萱振方へ婿入りしていたが[13]、この時の宗房の子も孫五郎と考えられる[2]。
弘治3年(1557年)1月、『厳助往年記』に孫五郎の名が見え[2]、この時「安見内衆・子息満五郎(孫五郎)」の謀反が露見したという[14]。
宗泰の動向
永禄3年(1560年)になると「野尻兵衛大夫宗泰」の名が史料上に現れる[15]。孫五郎と同一人物であればこの頃までに改称したことになる[2]。実名の「泰」は野尻氏の通字で、「宗」は安見宗房からの偏諱と考えられる[2]。なお、これ以降にも宗房の子として「孫五郎」や「満五郎」の名が見られるが[注釈 2]、馬部は宗泰に代わって新たに嫡子とされた人物であるとしている[2]。
宗泰は安見宗房と連署で、河内国交野郡養父郷[17](大阪府枚方市[18])の養父甚介に知行を安堵するなどしている[19][注釈 3]。この他、宗泰から養父甚介に単署で出された感状が3通あり、また遊佐信教と養父甚介の間の取次を宗泰が務める例も2件見られた[21]。これらの文面からは、宗泰が京都方面や河内国[22]の平尾(堺市美原区[23])、和泉国の別所(堺市南区)で軍事活動を行っていたことがうかがえる[24]。
永禄8年(1565年)10月下旬から11月の間に、宗泰は安見宗房から下郡代の座を譲られたとみられ、上郡代の恩智定成やその後任の草部房綱とともに「両郡代」として活動することになる[25]。
永禄9年(1566年)末から永禄12年(1569年)1月までの間に、宗泰は「備後守」の官途名を称するようになった[24]。野尻兵衛大夫宗泰と野尻備後守が同一人物であることは、同じ花押を使用していることから確認できる[26]。また、弓倉弘年は『尋憲記』を元に備後守の実名を「実堯」に比定したが[27]、馬部は『尋憲記』に記載される「野尻備後実堯」が大和国宇陀郡の大乗院領田口荘の代官であることや、実堯のものとして伝わる花押影が宗泰のものと異なることから、河内下郡代の野尻備後守(宗泰)とは別人であるとしている[28]。
永禄12年(1569年)9月、借銭が返済されていないことを理由に、宗泰の知行する牧郷[注釈 4]が堺の今井宗久に差し押さえられている[30]。これを実行したのは、前年の永禄11年(1568年)に足利義昭とともに上洛してきた織田信長であった[31]。
元亀4年(天正元年、1573年)のものとみられる7月27日付の連署状では、宗泰は「久泰」という実名で署名している(「狩野文書」)[32]。宗泰とともに連署する草部房綱は、それ以前に称していた房綱に替えて、佐久間信盛からの偏諱とみられる「盛政」の名で署名しており、宗泰も房綱と同様に、佐久間信盛と関係を持っていたものとみられる[33]。
元亀4年7月には、信長と対立した将軍・足利義昭が槇島城で挙兵して敗れ(槇島城の戦い)、三好義継の居城である河内若江城へと入っていた[34]。この年の6月に守護・畠山秋高を殺害していた守護代の遊佐信教は義昭へと味方し、三好康長ら四国衆とともに高屋城に籠城している[35]。天正3年(1575年)4月、河内は信長に平定されたが[36]、その後も宗泰は信長の下で下郡代の地位にあった[37]。
天正8年(1580年)12月25日、宗泰は信長の命により、上郡代の草部房綱とともに殺害されたという(『多聞院日記』)[25][38]。同年8月[39]に佐久間信盛が追放されており、馬部隆弘はそれに連座したとの見方を示している[33]。
脚注
注釈
- ↑ この時、宗房は6、700人ほどの人数を引き連れて、子に猿楽能を行わせるため上洛していた[2]。
- ↑ 永禄5年(1562年)の大館晴光書状案に、教興寺の戦いで敗北した「安見父子」のうち、「安見」が大坂に退き、「息孫五郎」が鷹山谷に退いた旨が記されている[16]。また、永禄9年(1566年)にも「安見満五郎」の名が見える(「永禄九年記」4月23日条)[2]。
- ↑ 年未詳10月18日付野尻泰・安見宗房判物[20]。この書状で宗房が「宗房」と署名するのに対し、宗泰は「泰」の一字で署名している[20]。
- ↑ 牧郷は河内国交野郡の北半分にあたる[29]。これに対し交野郡の南半分は交野庄といった[29]。
出典
- ↑ 弓倉 2023, pp. 378–379.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 馬部 2025, p. 194.
- ↑ “日本の暦日データベース”. 国立天文台. 2026年1月26日閲覧。
- ↑ 弓倉 2023, pp. 376–377, 385.
- ↑ 馬部 2025, pp. 194, 215.
- ↑ 馬部 2025, pp. 194, 207–208.
- ↑ 小谷 2015, p. 321.
- ↑ 小谷 2015, p. 321, 史料29; 馬部 2025, pp. 193, 206–207, 214.
- ↑ 弓倉 2006, p. 248; 小谷 2015, p. 321, 史料43.
- ↑ 小谷 2015, 史料43; 馬部 2025, p. 194.
- ↑ 弓倉 2023, p. 385.
- ↑ 小谷 2015, p. 321; 馬部 2025, p. 194.
- ↑ 小谷 2015, p. 321, 史料29; 馬部 2025, p. 194.
- ↑ 弓倉 2006, p. 334.
- ↑ 小谷 2003, pp. 108–111; 馬部 2025, p. 194.
- ↑ 弓倉 2006, p. 359; 小谷 2015, p. 323, 史料75; 馬部 2025, p. 194.
- ↑ 小谷 2003, p. 106.
- ↑ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1223–1224.
- ↑ 小谷 2003, pp. 108–111.
- 1 2 小谷 2003, pp. 108–109.
- ↑ 小谷 2003, pp. 108–111; 馬部 2025, p. 215.
- ↑ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1048.
- ↑ 馬部 2025, p. 185.
- 1 2 馬部 2025, p. 215.
- 1 2 馬部 2025, pp. 206–207.
- ↑ 馬部 2025, pp. 207, 215.
- ↑ 弓倉 2006, p. 344. 『大日本史料』十編之二十所収の「尋憲記」天正2年(1574年)1月17日条による。なお、馬部隆弘は『大日本史料』に翻刻される日付は誤りで「1月18日条」が正しいとする (馬部 2025, p. 231, 註163)。
- ↑ 馬部 2025, p. 216.
- 1 2 馬部 2025, p. 218.
- ↑ 弓倉 2006, pp. 344–345; 馬部 2025, p. 216.
- ↑ 弓倉 2006, pp. 52, 344–345.
- ↑ 馬部 2025, pp. 206–207, 228–229, 註129.
- 1 2 馬部 2025, p. 208.
- ↑ 弓倉 2006, pp. 371–372; 馬部 2025, p. 229, 註129.
- ↑ 弓倉 2006, pp. 371, 373.
- ↑ 弓倉 2006, p. 371.
- ↑ 馬部 2025, pp. 206–208.
- ↑ 辻善之助 編『多聞院日記 第三巻』三教書院、1936年、135頁。全国書誌番号:50007652。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920656/77。
- ↑ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年、202頁。ISBN 978-4-642-01457-1。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年。全国書誌番号:83052043。
- 小谷利明『畿内近国守護と地域社会』清文堂出版、2003年。ISBN 4-7924-0534-3。
- 小谷利明 著「文献史料からみた私部城」、交野市教育委員会 編『私部城跡発掘調査報告』交野市教育委員会、2015年。doi:10.24484/sitereports.17362。
- 馬部隆弘「安見宗房による狭山池の用水普請 ―台頭の過程を探る前提として―」『中京大学文学部紀要』第60巻、第1号、2025年。doi:10.18898/0002000954。
- 弓倉弘年『中世後期畿内近国守護の研究』清文堂出版、2006年。ISBN 4-7924-0616-1。
- 弓倉弘年 著「安見宗房―河内交野を領した政長流畠山氏の有力内衆」、天野忠幸 編『戦国武将列伝8 畿内編 下』戎光祥出版、2023年。ISBN 978-4-86403-447-0。