鳥取県西伯郡米子町法勝寺町(現・米子市法勝寺町)の人[1]。常重の長男[1]。生家は紺屋業を営む[1]。幼時、村夫子に従い、漢学句読を受け、算数習字を修学する[1]。家督を継承し、令蔵と改め、7代の主となる[1]。1872年以来公職公事に就いたが、1872年に法勝寺町肆長を申付けられたのを初めとする[1]。
1886年に紺屋業を廃止し、醤油醸造業を開始する[1]。醤油醸造業を営み[3]、また米子米綿取引所監査役[10]、西伯家畜会社社長[11]、鳥取県会議員・同副議長[12][注 2]、米子町会議員、学務委員、米子銀行監査役、米子町名誉助役などをつとめる[1]。
1917年12月、米子町功労者旌表規定により功労章並に金50円を贈られ、その功労を表彰される[4]。