野田城 (三河国)
愛知県新城市にあった城
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概要
城の構造
歴史
- 1508年- 菅沼定則によって築城され、居城とされた。定則の子・菅沼定村、孫・菅沼定盈らも居城とした。
- 1561年 - 桶狭間の戦いの後、今川氏を離反した定盈は、今川勢に攻囲され開城退去。
- 1562年 - 定盈が夜襲で奪回するも、損壊の激しい野田城は修築に刻を費やされた。定盈は、仮本拠を大野田城に定めている。
- 元亀2年(1571年) - 武田氏の遠江・三河侵攻において武田家臣山県昌景・小笠原信嶺らの襲来により、大野田城は大破炎上。同年12月、定盈は修築中の野田城を再び本拠としたという。なお近年では元亀2年の遠江・三河侵攻については根拠となる文書群の年代比定が再検討され、一連の経緯は天正3年の長篠の戦いの前提である可能性が指摘されている。
- 元亀4年(1573年) - 野田城の戦い(武田家の西上作戦)。武田軍に水の手を断たれて、城主・定盈は開城降伏する。
- 1590年 - 徳川家康が関東へ移封されると、定盈も付随。その後、吉田城に入った池田輝政の代官が新城を利用し、野田城を破却。廃城となった。
この城に関連する出来事
現在の野田城
現在は雑木などが生い茂っているが、土塁と空堀は現在も存在している。
野田城跡の北側斜面を含む谷が、建設残土で埋め立てられつつあって問題になっている。
本丸にあった門は近接する法性寺の山門として1719年に移築されている。

