野田城 (陸奥国)
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歴史・沿革
中世の城郭。三戸南部11代伊豫守信長の子信継が一戸実朝の跡を継ぎ、康暦年間(1379-1381年)に九戸郡野田村に移り[2]、十府の「古館」[3][4](三日市場)を居城にしたと伝えられており、古館の築城年代などは詳細不明である。天正10年(1582年)一戸政義の代に野田氏と称した。
天正19年(1591年)、野田掃部助政親は南部信直について九戸政実の乱に参戦した。天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「乙部 山城 破 一戸 掃部助 持分」とあり、野田氏累代の持城が破却されたあとに妻子を三戸に移住させ、野田の愛宕山の北方に館を築造し「新館」と称し、館の下に家士を配してこの地域を城内と称した。
