野風 (駆逐艦)
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 計画 | 1918年度(八六艦隊案) |
| 起工 | 1921年4月16日 |
| 進水 | 1921年10月1日 |
| 竣工 | 1922年3月31日 |
| その後 | 1945年2月20日戦没 |
| 除籍 | 1945年4月10日 |
| 要目 | |
| 排水量 | 基準:1,215トン 公試:1,345トン |
| 全長 | 102.6メートル |
| 全幅 | 8.92メートル |
| 吃水 | 2.79メートル |
| 機関 | ロ号艦本式缶4基 パーソンズ式タービン2基2軸 38,500馬力 |
| 速力 | 39ノット |
| 航続距離 | 14ノットで3,600カイリ |
| 燃料 | 重油:395トン |
| 乗員 | 154名 |
| 兵装 | 45口径12cm単装砲4門 6.5mm単装機銃2挺 53.3cm連装魚雷発射管3基 (魚雷8本) 一号機雷16個 |
野風(のかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の13番艦(野風型1番艦)である。「野風」以降の3隻は兵装の配置を変更したため、「野風型」或いは「峯風改型」と呼ばれることがある。艦名は「野に吹き渡る風」に由来する[1]。
舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入される。竣工と同時に「波風」、「沼風」、「第一駆逐艦」(のち「神風」)とともに第一駆逐隊を編成し、千島、北海道方面の交通保護に当った。
1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、「野風」は横須賀港にあり、第一駆逐隊の僚艦「神風」と「沼風」、第六駆逐隊の「電」と「雷」とともに当日の午後に出港した。「野風」は翌日早朝に岩手県の盛(現在の大船渡市)に着き、救援にあたった[2]。後続の敷設鑑「厳島」が6日に釜石に到着すると、同艦から物資を受け取って7日に宮城県女川に移送した[3]
日中戦争には1938年(昭和13年)以降、華北・華中の沿岸作戦に参加する。
太平洋戦争では、北方で哨戒、海上護衛作戦に参加した。
1945年(昭和20年)2月20日、「野風」は護衛任務中に仏印カムラン湾で米潜水艦「パーゴ」の雷撃を受け沈没。4月10日、除籍[4]。
野風型(峯風改型)
峯風型は12センチ3番砲と4番砲の間に2番連装魚雷発射管と3番連装魚雷発射管を配置し、更に2つの魚雷発射管の間に後檣を設置したため、主砲や魚雷発射管の統一指揮や給弾が困難だった。そのため、大正7年度計画で建造された6隻の内、最後の「野風」、「波風」、「沼風」では後檣を後部に移し、ここに3番砲と4番砲を背中合わせに配置するとともに魚雷発射管を連続的に配置するように改めた。今までの峯風型と異なる艦型となったため、野風型または峯風改型と呼ばれることがある。