1897年(明治30年)京都府の生まれ[1][2][注釈 1]。本名は'金尾修[1][2]。京都中卒業後[1]、倉橋仙太郎の新民衆劇学校で演技を学び、新民衆劇一派(のちに第二新国劇に改称)で活躍[1]。同劇団では原健策、大河内傳次郎らが一緒だった。第二新国劇解散後、剣劇を売りとした金井修一座(金井修劇団)を旗揚げ[1]。神戸三宮の歌舞伎座、新開地の港座あたりで公演を行った後、東上[3]。以後、浅草昭和座を拠点に、京都新京極、大阪道頓堀、神戸新開地劇場[6]などに出演[1]。大殺陣とともに、5役30回などの早替りを得意とした[1]。
一座解散後[3]、1959年からテレビに進出[4]。綜芸プロダクション[4]、劇団仲間に所属した[5]。