金光修
日本のテレビプロデューサー、実業家 (1954-)
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金光 修(かねみつ おさむ、1954年10月28日[1][2] - )は、日本の実業家、テレビプロデューサー。株式会社フジ・メディア・ホールディングス 前代表取締役社長。
かねみつ おさむ 金光 修 | |
|---|---|
| 生誕 |
1954年10月28日(71歳) |
| 出身校 | 早稲田大学第一文学部 |
| 職業 | 実業家 |
| 肩書き | (株)フジ・メディア・ホールディングス 前代表取締役社長 |
経歴・人物
東京都出身。中学時代に音楽、高校時代に競馬に興味を持つ[4]。早稲田大学第一文学部卒業。1978年西武百貨店に入社、マーケティングを担当し、糸井重里「おいしい生活」に関わる企画に携わった[5]。
1983年4月、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)に中途入社[1][2][6]。1987年に映画『私をスキーに連れてって』のプロジェクトを実現させると、1989年に編成部に異動して[7]、1989年から『NONFIX』(是枝裕和らを起用)[8][9]、1990年から『カノッサの屈辱』[10]、1991年『バナナチップス・ラブ』[11]、1991年から『カルトQ』、1992年から『アジアバグース!』[12]、1993年から『ワーズワースの庭で』、1994年『Revolution No.8』[13]、などの個性的な深夜番組や、1993年から人気番組『料理の鉄人』の企画などに携わる[7]。1997年、ジェイ・スカイ・ビー(現:スカパーJSAT)に派遣され、CS放送スカイパーフェクTV!(現:スカパー!)の立ち上げに携わり[14]、1998年から『競馬予想TV!』を企画した[15]。
1999年、ビーエスフジ(BSフジ)編成局長に就任。2009年6月にフジテレビジョン経営企画局長、2011年6月にフジ・メディア・ホールディングス(FMH)経営企画局長、2012年6月にFMH及びフジテレビジョン両社の執行役員経営企画局長を歴任[1]。2013年6月にFMH常務[1][16][5]、2015年6月にFMH専務[1][5]、2017年6月にフジテレビジョン専務を兼ね[1][17]、2019年6月にFMH代表取締役社長に就任した[1][2][16]。
2019年12月11日にNHKBSプレミアムの『たけしの“これがホントのニッポン芸能史”』のグルメ番組の歴史を振り返るテーマの回で『料理の鉄人』の企画者としてインタビューVTRに出演した。
2021年4月、FMHの放送法の外資規制違反問題では、衆議院総務委員会に参考人として出席し、「多くの方々にご心配をおかけしたことを深くおわび申し上げる」と謝罪した[18]。
2021年6月、フジテレビジョンの代表取締役社長を兼務[1][2][6][14]。2021年11月、従業員の人員バランス適正化と経営合理化を目的として「ネクストキャリア支援希望退職制度」を実施した[19][20]。2022年春の改編では『森田一義アワー 笑っていいとも!』の後継番組だった『バイキングMORE』(2020年9月25日までは『バイキング』)が終了した[21][22]。
2022年6月、フジテレビジョンの社長職を港浩一に交代し、FMHの社長職に専念した[23]。
2025年3月27日付でフジテレビジョンの非常勤取締役を退任[24]。同年6月25日に開催された定時株主総会終結の時を以て、FMHの代表取締役社長を任期満了に伴い退任した[25][26][27]。
元妻は、重岡由美子[28][29](元フジテレビ・ゼネラルプロデューサー、元旧ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)取締役)[30]。
著書
- 『精選馬名事典』ミデアム出版社、2000年6月。ISBN 9784944001668。
- 『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965』アスコム、2002年12月1日。ISBN 978-4776200055。
- 『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965』扶桑社、2022年3月1日。ISBN 978-4594748609。
- 『東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃』ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、2010年2月25日。ISBN 978-4636850567。
- 『東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃』扶桑社、2022年3月1日。ISBN 978-4594748623。