金光燮
北朝鮮の外交官 (1952-)
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経歴
金日成総合大学 経済学部卒業後の1977年12月、当時の社会主義労働青年同盟(現 社会主義愛国青年同盟)副委員長、1979年4月にチェコスロバキア国際学生連合 副教授、1982年4月に朝鮮労働党対外連絡部部長。1984年12月駐チェコスロバキア大使、1990年には中、東欧の広域大使となる。1993年より駐オーストリア大使となる。
とはいえ、もともと、外交官らしい外交官であったわけではない。就任直後、オーストリア外務省を訪れ、「金日成主席が発表した『祖国統一のための全民族的大団結綱領』を公表してもらえないか」と要請したが、一蹴され、その非現実的外交を冷笑された苦い体験もしている。ウィーンで西側の外交を学んでいった中で、彼を知る西側外交官は今では、「金日成主席が娘の婿に選んだだけのことはある」として、外交能力を一様に評価している。しかしここ数年間、心臓病を患っている。ウィーンで治療を受ける一方、毎年夏、休暇を兼ねて、2カ月間ほど平壌に帰国して治療を受けている。
しかし、妻が金正日、金正恩の警戒する金平一の姉ということもあって、夫婦共々、本国からは遠い大使に置かれていたが、2020年3月、27年ぶりに本国に帰国することになった。
脚注
出典
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 不明 |
1993年~2020年 |
次代 崔強一 |
