金光秀憲

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国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県
生年月日 (1935-06-02) 1935年6月2日(90歳)
身長
体重
173 cm
80 kg
金光 秀憲
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県
生年月日 (1935-06-02) 1935年6月2日(90歳)
身長
体重
173 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1959年
初出場 1959年4月11日
最終出場 1969年5月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 大洋ホエールズ (1970 - 1974)

金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は、兵庫県[1]出身の元プロ野球選手外野手)・コーチ

浪華商業から清水谷高校を経て、1955年関西学院大学へ進学し、関西六大学リーグでは1年次の同年秋季に優勝を経験。リーグ通算73試合に出場し、263打数88安打、打率.335、2本塁打の成績を残した。

卒業後の1959年大洋ホエールズへ入団し、1年目の同年から一軍に定着[1]。2年目の1960年にはエースの秋山登を開幕戦の事故で欠いて6連敗したが、その連敗を止めたのが金光であった。シーズン当初は主に代打での起用だったが終盤には故障の黒木基康に代わり、3番・右翼手として球団史上初のリーグ優勝に貢献[1]大毎との日本シリーズでは全4戦に5番打者として先発出場し、10月11日の第1戦(川崎)で7回に中西勝己から決勝本塁打、同14日の第3戦(後楽園)で2本の適時打を放つなど活躍。シリーズ通算15打数6安打4打点で首位打者となる[1]が、初戦の本塁打は0対0の7回に三原脩監督から「初球ストレートが来る」と言われ、中西のカーブを打った。結果的に三原の予想は外れた訳だが、なぜか金光本人は打ったのがストレートと思いこんでおり、「三原さんはなぜストレートと解ったのか、恐ろしいくらい」とコメント。打ったのがカーブと聞かされると非常に驚いた。3年目の1961年には5番・左翼手の定位置を獲得し、4月11日の中日戦(川崎)では板東英二からサヨナラ本塁打を放っているが、1962年には長田幸雄が台頭して出場機会が減る。その後も長く外野の控えや代打の切り札として活躍し、1969年に現役を引退。

引退後は大洋で一軍コーチ補佐(1970年)、二軍打撃コーチ(1971年1973年 - 1974年)、一軍打撃コーチ(1972年)を務めた[1]。退団後は横浜のスイミングクラブ支配人などを経て、静岡県田方郡函南町で温泉管理業を営み[1]、現在は母校・関学大野球部OB会の会長を務める。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1959 大洋 7116816073341348182030301263.206.226.300.526
1960 831881801446120573203011500224.256.276.406.681
1961 1213823623610222351454145011870404.282.316.401.716
1962 5880775164012371000201110.208.238.299.536
1963 647068013100142000010162.191.214.206.420
1964 4749450113001410000040052.244.306.311.617
1965 961731561946638822610221310256.295.349.526.875
1966 7314312853661147140102933185.281.343.367.710
1967 71857841220117100001511101.154.214.218.432
1968 545647310103206000080094.213.327.426.753
1969 1000000000000000000----------------
通算:11年 739139413019332561827483154116676812717231.250.291.371.662

表彰

背番号

  • 9(1959年 - 1969年途中)
  • 50(1969年途中 - 1971年)
  • 40(1972年 - 1974年)

脚注

関連項目

外部リンク

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