金刀比羅神社 (恵那市山岡町原)
From Wikipedia, the free encyclopedia
喜兵衛地蔵
延宝元年(1673年)創建。美濃国恵那郡原村の村民が讃岐国の金刀比羅宮から分祀し、祠を建てたのが始まりという[1][2]。
宝暦年間(1751~1764年)、原村の庄屋であった小木曾喜兵衛が村民を代表して讃岐国の金刀比羅宮を33回参詣し、その都度持ち帰った神土を本殿に納めたと伝わる[1]。
小木曾喜兵衛は、祭礼の日には、自ら花馬となって境内を駆け巡って祭りを盛り上げ、年々参詣者を増やし、後世の盛大な祭典の基を創ったと伝わる。
天保14年(1843年)3月10日、春の大祭に、明知陣屋の役人が職務に支障が無いように交代で参詣した記録がある。
天保15年(1844年)、明知村庄屋の福岡源兵衛、御用達の福岡市左衛門、吉良見村庄屋の阿部又右衛門が共同で寄付した石垣の碑文がある。
旧社格は村社であったが、昭和38年(1963年)1月17日に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定(金61号)を受けた[3]。
境内には日清戦役紀念碑、日露戦役紀念碑、殉國之碑、忠魂碑があり、この地域(恵那郡鶴岡村)の英霊を祀る。
喜兵衛地蔵は、金刀比羅神社前の旧辻道にあり、中興の祖である小木曾喜兵衛の遺徳を讃えて祭祀されている。
台座には以下の文言が刻まれている。
小木曾喜兵衛 右 なごや道 左 みかわ道
寛政十二年 申 六月十六日
明治廿三年 寅 三月三十日 再繕
圓通寺
創建時期は不明であるが、ここには古くから臨済宗妙心寺派の圓通寺という観音堂があり、その裏山に金刀比羅大権現を勧請して小祠を建てたのが始まりである。
圓通寺の境内は、宝暦年間(1751~1764年)前後に大いに整備された。
嘉永2年(1849年)の棟札の最後には、以下の文言が記されている。
白華峰 金毘羅堂 黙禅叟誌焉
慶応4年(1868年)に神仏分離令が発布されるまでは、圓通寺の僧侶が別当寺として金毘羅堂を管理し祭祀を行っていた。
入口の左右には石造の金剛力士像が立ち、参道に沿って多くの地蔵や観音の石像が並んでおり、圓通寺の石仏群と呼ばれている。
裏山一帯には121体の石仏・石祠群(三十三箇所と八十八箇所)がある。
指定文化財
恵那市指定史跡
- 圓通寺の石仏群
交通アクセス
- 恵那市自主運行バス山岡地区[52]吹越線「金刀比羅神社」バス停下車、徒歩で約2分。
祭神
祭事
- 春の大祭
- 4月第2日曜日
- 秋の大祭
- 11月第2日曜日