金剛寺 (倉敷市)
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金剛寺の鐘楼
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| 所在地 | 岡山県倉敷市真備町岡田1541 |
| 位置 | 北緯34度39分2秒 東経133度42分20.5秒 / 北緯34.65056度 東経133.705694度座標: 北緯34度39分2秒 東経133度42分20.5秒 / 北緯34.65056度 東経133.705694度 |
| 宗旨 | 古義真言宗 |
| 宗派 | 真言宗御室派 |
| 本尊 |
観世音菩薩 弘法大師石像二軀 |
| 創建年 | 1817年 |
| 別称 | 桜大師、桜のお大師様 |
| 札所等 | 吉備四国霊場八十八か所(下道郡霊場八十八か所)27番 |
| 法人番号 | 6260005004056 |
金剛寺(こんごうじ)は岡山県倉敷市真備町に所在する真言宗御室派の寺院。別称「桜大師」(さくらだいし)[注 1]または「桜のお大師様」(さくらのおだいしさま)[2]。
1817年(文化14年)、下道郡八代村の重吉(小野氏)により、四国八十八箇所の霊場になぞらえて八代・辻田・岡田・市場の四か村に八十八箇所の札所が造られた際に、二十七番札所として「高野峰神峰寺」と名付けられた[注 2]のが創設である[5][注 3]。
1872年(明治5年)に社寺堂宇書上げ明細帳に「桜大師堂」として登録、1883年(明治16年)に梵鐘を鋳造し鐘楼を建て、さらに1900年(明治23年)に高野山の出張所が大師堂内に置かれ、これによって高野山系の大師堂という縁故ができた[5]。
昭和の初めに岡田村村長・三宅清三郎が桜大師堂を寺に格上げする念願を欲し[5][注 4]、都窪郡中庄村の「阿弥陀庵」[注 5]にいったん桜大師堂を合併する手続きを行い、引き続き1929年(昭和4年)に阿弥陀庵を桜大師堂の位置へ移転する手続きを行うとともに、宝生院の住職を受持住職とした[5]。
1931年(昭和6年)、阿弥陀庵を「金剛寺」と改称する[注 6]とともに寺に格上げする許可を受け、「古義真言宗宝生院末金剛寺」となった[5]。
境内
交通アクセス
『悪魔の手毬唄』と桜大師

左奥の石段上が桜大師(金剛寺)の鐘楼、右手前の家が横溝正史疎開宅
第二次世界大戦末期から3年余りこの地に疎開していた横溝正史が執筆した、『悪魔の手毬唄』の舞台である鬼首村(おにこうべむら)に登場する寺が「桜のお大師」と呼ばれており、当寺の別称「桜大師」[1]「桜のお大師様」[2][注 8]がその呼称のモデルとなっている[注 9]。
横溝はインタビューで、『悪魔の手毬唄』の鬼首村には地形上のモデルが実在しており、疎開先の吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)の「桜」という集落を、作中に登場させていると述べている[10]。また、同インタビューで編集者から示された鬼首村の地図[11]を、「作者公認」として結構ですと述べており[10]、その地図の桜集落の中に「大師」が記されている[11]。
