金州副都統衙門
From Wikipedia, the free encyclopedia
清朝初期、熊岳(現在の営口市鮁魚圏区熊岳)には遼東半島南部の最高軍事・政治機関である熊岳副都統衙門が設置されていた。1843年(道光23年)2月、南部地域の海岸防衛を強化するために、熊岳の副都統衙門が金州に移り、金州副都統衙門と改名し、盛京将軍の直属となり、旗下には金州、旅順口水師営と復州城、蓋州城、熊岳城を置いた。副首都司令官の正式な称号は二品で、印刷所もあり、左司と右司に分かれており、各司には司達、班達、記録などの役人が置かれた。

20世紀に大連・旅順が発展するまでは、金州がこの地域の中心都市で、日清戦争でも日本軍の遼東半島上陸後はまず金州を目指している。この時期、正岡子規が従軍記者で金州を訪れて、詠んだ俳句の石碑「金州城にて 正岡子規 / 行く春の酒を / たまはる陣屋哉」が金州副都統衙の庭に置かれている。[2]
1999年に800万人民元を投じて復元して、2001年には博物館とした。
