金成鐸 From Wikipedia, the free encyclopedia 金 成鐸(キム・ソンタク、朝鮮語: 김성탁、1922年2月28日 - 2007年4月28日)は、大韓民国の実業家、政治家。韓国有数の炭鉱王[1]で第4代韓国国会議員[2]。 本貫は金海金氏、号は豊谷(プンゴク)。仏教徒[2]。 選挙歴 日本統治時代の慶尚南道蔚山郡(現・蔚山広域市北区於勿洞[3])出身。金海郡駕洛面の大沙公立国民学校(現・大沙初等学校(朝鮮語版))、東京の大成中学校(現・大成高等学校)中退または卒業。新興大学(現・慶熙大学校)法科大学卒。慶南ムニョプ工業組合理事長、豊谷炭鉱代表理事・社長、ソンプン炭鉱代表理事、豊谷練炭社長、金剛精密機械工業社長、金星仮染工業社経営者、豊国海運運営者[3]、自由党中央委員兼政策委員などを務めた[1][2]。 2007年4月28日、急性肺炎により死去。享年85[4]。 同じ地元の鄭海永と並ぶ石炭産業で成功した大富豪で、同じく実業家として政界入りした。第4代総選挙で当選したが、4・19革命により国会議員を約2年間しか務めなかった。金はその後も政界に未練を捨てられず、第5代・第6代総選挙にも出馬したが、相次いで落選した。特に1963年の第6代総選挙では民主党の崔泳謹(朝鮮語版)に14票差で敗れ、再検票してもひっくり返すことはできなかったため、民主共和党が強い慶尚南道で唯一落選した同党の候補者であった[3]。 その後第7代総選挙に群小政党の候補として出馬しようとしたが、民主共和党公認の薛枓廈の落選を危惧した李厚洛大統領秘書室長の説得により途中で撤回した。しかし、その時に李が交わした農林部長官への任命という約束を守らなかったため、腹を立てて第8代総選挙に出馬し、共和党の候補に対して落選運動を繰り広げたが、共倒れして新民党新人の崔炯佑に敗れて落選した。結局、彼は多くの総選挙に無理に出馬した結果、莫大な財産を失った[3]。 人物 穏やかな性格であり、混沌とした政界の流れとは調和していない印象であるが、実業家としての果断な闘志は凡人たちの手本になると評された[1]。 脚注 1 2 3 “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2026年3月22日閲覧。 1 2 3 “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2026年3月22日閲覧。 1 2 3 4 “[인물로 읽는 울산유사(227)]6대 총선때 14표 차로 낙선, 재검표까지 했지만 판세 못뒤집어” (朝鮮語). 경상일보. (2016年11月20日). https://www.ksilbo.co.kr/news/articleView.html?idxno=566818 2026年3月22日閲覧。 ↑ “[부고]김성탁 前 국회의원” (朝鮮語). 동아일보 (2007年4月30日). 2026年3月22日閲覧。 Related Articles