元和元年(1615年)7月、金森可重は、江馬氏16代の名跡を継がせようと旧領高原郷3,000石を分与した。藩領内分与であり、兄が藩主になるとこれを家老としてよく補佐した。現在の高山市桜町、八幡町付近に屋敷を設けた。墓所は重勝が建立した宗猷寺。重直が跡を継いだ。
金森左京家の第4代当主金森可英の時、本家の美濃郡上藩主金森頼錦が改易となったが、宝暦8年(1758年)12月に3,000石のまま越前国南条郡、今立郡(南条郡白崎、清水、牧谷の3村、今立郡上大坪、萱谷、大手、西尾(幕府領と割郷)4村)に領地を移され、白崎(現・福井県越前市白崎町)に陣屋を設置し、また江戸屋敷を三田魚籃坂下に拝領した。金森家の名跡は左京家が継承し、旗本・交代寄合表御礼衆として幕末まで存続し現在に至る。
末裔の金森譲は、高山市と武生市(現・福井県越前市)の友好都市締結に尽力し、昭和57年(1982年)10月22日に実を結んだ。