金砂福
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タクシー運転手として
金砂福は1932年に生まれ、日本統治時代の朝鮮において日本語を学び、また英語も独学で修得し、遅くとも1970年代にはタクシー業をソウル市内で営んでいた。個人タクシーではなく、高級ホテルであるソウル中区会賢洞1街92-6のパレスホテルの専属タクシー業者として主に宿泊客相手に稼働していた。持ち前の語学力から外国人客、特にジャーナリスト相手が主であったという[1][2][3]。 尚、ここで言う「ソウルパレスホテル」は現在のパレスホテルであり、現在も同地で営業を続けているが、1982年に創業し2021年に閉業した特2級ホテル「シェラトンソウルパレス江南ホテル」(ソウル特別市瑞草区砂平大路160)とは別物である(同ホテルは改称前に「パレスホテル」を名乗っており、その前は「ソウルパレスホテル」という名称だった)。
文世光事件
1974年8月15日朝、朝鮮ホテルに投宿していた文世光は、光復節の祝賀行事が挙行される国立劇場へ向かうべく、フロントでタクシーの斡旋を依頼したが、ちょうどその時間は全てのタクシーが出払っており断られた。そこへ「たまたま」パレスホテルのタクシーがやってきて、空車となったところを文はこのタクシーに乗車して国立劇場へ向かい事件を起こした。文は在日朝鮮人であり、その流暢な日本語から日本人を装っていたものと推測できる。この時のタクシー金砂福所有のもので、ソウルパレスホテル所属のコールタクシーだったが、運転手は当時、金の控え運転手だった黄濤東という人物だった事が後に判明している[2]。
ヒンツペーターとの出会い
先述の通り金は流ちょうな外国語から外国人客との接客が多く、特に日本とドイツのジャーナリストが多かったという。その中で後に大きな関わりとなるユルゲン・ヒンツペーターと出会っている。この出会いは広く知られている光州事件よりも以前、遅くとも1975年8月17日、張俊河死亡事件の現場で金とヒンツペーターはその死亡現場に立ち会っている[1][4]。
光州事件
ドイツ公共放送連盟(ARD)の東京特派員だったユルゲン・ヒンツペーターは、韓国の光州で不穏な動きがあることを察知し、韓国へ向かう。金浦空港で同行の録音担当記者と共に懇意だった金と落ち合い、5月20日に光州へ向かう。5月21日に韓国軍による市民への銃撃が行われる様子をフィルムに納め、翌5月22日に光州を脱出しフィルムを東京へ送り、再度光州入り。5月27日に光州市が軍に落ちると翌5月28日にも光州入りしている[3]。これら取材結果は本国ドイツを通じて世界に配信され、韓国軍の蛮行が世界の目に晒されることとなった。