金磯弁財天
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所在地
徳島県小松島市金磯町3
位置
北緯33度59分46.44秒 東経134度36分27.05秒 / 北緯33.9962333度 東経134.6075139度座標: 北緯33度59分46.44秒 東経134度36分27.05秒 / 北緯33.9962333度 東経134.6075139度
山号
(蓬莱山)
本尊
弁財天
| 金磯弁財天 | |
|---|---|
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境内 | |
| 所在地 | 徳島県小松島市金磯町3 |
| 位置 | 北緯33度59分46.44秒 東経134度36分27.05秒 / 北緯33.9962333度 東経134.6075139度座標: 北緯33度59分46.44秒 東経134度36分27.05秒 / 北緯33.9962333度 東経134.6075139度 |
| 山号 | (蓬莱山) |
| 本尊 | 弁財天 |
| 創建年 | 伝・延暦年間(782年 - 806年) |
| 開基 | 伝・弘法大師 |
| 札所等 | 四国八十八カ所18番奥院 |
金磯弁財天(かないそべんざいてん)は徳島県小松島市金磯町に所在する仏堂。本尊は弁財天。四国八十八箇所十八番札所恩山寺奥の院。納経及び御影の授与は恩山寺にて。一帯は弁天山と呼ばれている。
概要
この地に仏堂が構えられたのは戦国時代から江戸時代初期の頃と伝えられている。仏堂は恩山寺の奥の院となり、紀伊水道の海域を守護している。
仏堂の脇には丘陵があり、蓬莱山という。ここには亜熱帯性植物のアコウが自生しており徳島県の天然記念物に指定されている。幕末の文久3年(1863年)には地元の篤農家であった多田宗太郎が私費を投じ、この丘陵上に弁天山砲台を築いて徳島藩に献上した。なお、宗太郎はこれにより士分(郷士格)に取り立てられた。藩主斉裕は兵隊40名に砲台の守護を命じ、明治2年に廃止されるまで、一日も休むことなく監視と訓練は続けられ江戸時代後半から現れだした黒船から防御した。中央高台に2基、平地の両脇に3基づつ設置されていた。
摂末社
- 弁財天祐七大明神の祠
ギャラリー
- 横須海岸から見た金磯弁財天のある弁天山
- 本堂
- 本堂奥殿
- 本堂の左の祠
- 弁財天祐七大明神の祠
- 背後が海岸の高台の祠
- その中の石の仏
- 洞窟
- 海蝕洞窟
- アコウ