金鉄男
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1895年9月12日、黄海道信川郡に生まれる。1915年、ソウル儆新学校卒業。
三・一運動後、上海に亡命。福州の軍官学校を卒業。黄埔軍官学校教導第3団副団長。北伐では国民革命軍に従軍して江西省南昌を進撃した[1]。北伐後は上海を経て南京で長い間活動した[1]。この時期、金九や金元鳳など多くの独立運動家と交流した[1]。
1934年、中央陸軍軍官学校洛陽分校日本語教官[3]。
1936年3月14日、歩兵中校[4]。
日中戦争で空襲防御総監部消極防空処処長、湖南省空襲防御司令部司令、軍事委員会防空総監部科長を歴任[1]。1942年、「降落傘部隊之研究」の編纂に携わっている[5]。
1943年3月、韓国臨時政府交通部次長[6]。同年8月、空軍設計委員会委員[6]。1944年12月、参謀部次長[6]。1945年2月、新韓民主党中央執行委員[7]。
終戦後も中国に留まり、中華人民共和国成立後は北京人民芸術劇院で働いていた[1]。1952年、癌により北京で死去。
1972年、建国勲章独立章を追叙。