金高清吉
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棋風
珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった[1]。
人物
海釣りが好きで、釣った魚のことをけなされると、闘志満々で戦ったという[2]。
非常に酒が好きであり、清野静男、間宮純一との三人で「将棋界の三奇人」とよばれた[3]。
初の「反則負け」
将棋の現行規則においては、指し手に反則行為が生じた場合には反則を犯した対局者の即負けが規定されているが、かつては反則を定めた明文規定がなく、反則規定が設けられたのは昭和32年頃であった[4]。公式戦で対局者の反則行為による「反則負け」が適用されたのは、王手放置の反則を犯した金高七段であった[4]。対局相手の間宮純一六段の王手に気付かず金高が他の手を指した直後、間宮は相手の玉を取り上げ「玉のただ取り」として自分の着物の中にしまい込むと、部屋を出て行ってしまった[4]。記録係が会長・加藤治郎八段に取り扱いを確認し、この対局の棋譜が新聞掲載予定だったこともあり加藤会長も頭を悩ませた上で、改正規定に則り金高七段の反則負けと確認された[4]。