鈴木やす
日本出身の俳優、映画監督
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経歴
愛知県名古屋市に生まれる[2]。中学生のとき、演劇部に所属し活動していた。
1988年から1991年に、ベルリッツ鈴木の名前で、5時SATマガジンの大学生リポーターとして出演した[3][注釈 1]。同番組に英会話のベルリッツ・ジャパンがスポンサーとして関わっており、英会話習得企画に挑戦するレポーターを視聴者から募集した。これに鈴木が応募し、選ばれたことが出演のきっかけであった。
1991年、大学卒業後にアメリカへ渡り、ニューヨークでダンサーと俳優業を始めた[2]。またニューヨークにあった演劇学校のHBスタジオで学んだ[3]。渡米して3年が経過したころ、ルームメイトとの不和でアパートを追い出されたり、働いていたラーメン屋から解雇されるなどの経験をした[4]。
1997年、ミュージカルのコーラスライン、ラ・カージュ・オ・フォールのダンサーに選ばれた[2]。
1999年、ミュージカル「王様と私」で、全米を1年間かけて巡る劇団に選ばれる。最初は、端役であったが、最後はクララホム首相の役を獲得した[5]。
2002年、仲間とミュージカル「RANT」を制作し、初の脚本を執筆した[2]。2004年、初の短編映画「For Marlon」を制作した[5]。
東日本大震災を契機として、2012年に映像作家の古川康介、音楽プロデューサーの河野洋と共に、ニューヨークで行われる日本映画祭「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」を設立した[6][注釈 2]。
人物
- 俳優を目指した最初は、小学生のときに田宮二郎主演の白い滑走路を視聴したからだと語っている。
- 5時SATマガジンで司会を務めていた大竹まことについて、鈴木は「芸人としての生き方の師匠」としている[7]。また、同時期にシティーボーイズの舞台に出演させてもらったこともある。
- ニューヨークに憧れたのは、根津甚八がニューヨークの演劇学校に通うテレビ番組を視聴したことである。また5時SATマガジンの後に東京へでるかニューヨークに出るか迷ったとき、先の見通せないニューヨークを選んだとも述べている。
- 2006年、オフ・ブロードウェイのミュージカル「The Gold Standard」でアルコール中毒の詩人の役を演じたが、情報誌のレビューに「鈴木の英語は半分しか聞き取れない」と書かれた[7]。それ以降は「発音の矯正に無謀なほどお金をつぎ込んだ」と述べている[7]。
私生活
鈴木やすの配偶者は、ペギー・スズキ(Peggy Suzuki)。サウスカロライナ大学コロンビア校卒で、俳優活動の他にヨガのインストラクターとしても活動を行う。2020年にセント・ジョンズ大学英文学部でPh.Dを取得[8]。セント・ジョンズ大学とLLMカレッジで講師を務めている[9]。2002年にニューヨークで上演した「RANT」では共同制作をしている[2]。
主な出演作品
舞台演劇
- A Chorus Line(コーラスライン、1997年、ニュージャージー州 Union County Performing Arts Center)- Larry 役[3]
- La Cage Aux Folles(ラ・カージュ・オ・フォール、1997年、ニュージャージー州 Union County Performing Arts Center)- Nichole 役[3]
- King and I(王様と私、1999年、全米ツアー)- クララホム首相[3]
- RANT(2002年、ニューヨーク)[注釈 3] - Lucy Foo 役 および脚本、振り付け[2]
- The Gold Standard(2006年)- Krego 役[3]
- HOKAIBO(2006年)- KUROKO 役[3]
- Wind Up Bird Chronicle(ねじまき鳥クロニクル、2010年)- 本田伍長 役[3]
- TOKIJIRO(沓掛時次郎、2019年、ニューヨーク、鹿児島市[注釈 4])- 沓掛時次郎 役[3]
- CHUSHINGURA(忠臣蔵、2022年10月18日 - 11月6日、A.R.T./New York Theatres[11])[注釈 5] - 浅野内匠頭 役[3]
映画
- NYカンタービレ(2006年)- 寿司職人 役[5]
- ロード・トリップ パパは誰にも止められない!(2008年)- 日本人ダンサー 役[5]
- マーティ・シュプリーム 世界をつかめ(2025年)- ロックウェル社取締役 役[5]
テレビ
監督作品
短編映画
- For Marlon(2004年)
- Radius Squared Times Heart(2009年)
- The Apologizers(2018年)