鈴木信治 From Wikipedia, the free encyclopedia 鈴木 信治(すずき しんじ、1896年 - 1981年)は、福島県出身の会社経営者。 福島県安達郡玉井村[1]で1896年(明治29年)7月21日に鈴木直蔵の二男として生まれる。1920年に東京高等商業学校を卒業し、同年に横浜正金銀行に入行[1]。漢口、ニューヨーク、上海、カルカッタの各支店勤務などを経て、大阪と神戸支店で副支配人、営口とハルピン支店で支配人を務めた[2]。1960年2月、日本IBMの社長に、1962年10月には同社会長に就任[1]。 1981年(昭和56年)6月20日心筋梗塞のために死去[3]。84歳没。妻の満壽子は東京ポートサービス協会初代理事長を務めた荒川敬の長女[2]。長男の謙一(1931年生)は日本興業銀行に勤め、その妻・秀子はIMF理事を務めた湯本武雄(湯本武比古の長男)の二女[4]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 興信データ株式會社 1968, す92頁. 1 2 『人事興信録』(第23版 上)人事興信所、1966年、す83頁。NDLJP:3044977/1144。 ↑ 1981年 6月22日 朝日新聞 夕刊 p13 ↑ 『人事興信録』(第19版 下)人事興信所、1957年、ゆ6頁。NDLJP:3022520/595。 参考文献 興信データ株式會社『人事興信録 第24版 上』興信データ、1968年。 先代水品浩 日本アイ・ビー・エム社長1960年 - 1962年 次代稲垣早苗 Related Articles