鈴木智美 (ゴルファー)
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1974年にプロ入りし[1]、1976年の阿蘇ナショナルパークオープンでは最終日に67のコースレコードをマークして、4アンダーで鈴木規夫の2位に入った[2] [3]。
1980年のマレーシアダンロップマスターズでは3日目に高橋勝成と共に通算217の3位タイに着け[4]、最終日の18番で4mのバーディパットを沈めてルディ・ラバレス(
フィリピン)とのプレーオフに持ち込んだが、豪雨のためにプレーオフを断念せざるを得なくなり、ラバレスと共に優勝を分け合う[5]。鈴木は最終日73で通算2オーバー290をマークし[5]、賞金2250ドル(約56万円)ずつを獲得[6]。1976年・1977年の鈴木豊[7] [8] [9]以来3年ぶりとなる日本人の同大会優勝となったが、鈴木智にとってはプロ7年目での初優勝[6]で国内外通じて唯一の優勝となった。
1980年のアジアサーキット・インドネシアオープンでは2日目にベストスコア64をマークして138で8位に上がり[10]、3日目には68をマークして206で5位[11]とし、最終日には白浜育男と共に2アンダー278で4位タイ[12]に入った。
1983年の関東プロでは初日を謝敏男(
中華民国)と共に4アンダー68をマークして7位タイでスタートし[13]、1987年のマルマンオープン[14]を最後にレギュラーツアーから引退。
ツアー引退後の2004年からは岩舟ゴルフ倶楽部(栃木県栃木市)の管理会社で代表取締役を務め[15] [16] [17]、現在は鹿沼プレミアゴルフ倶楽部総支配人[18]。