鈴木豊 (ゴルファー)
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1973年にプロ入りし[1]、1974年の美津濃プロ新人で2位になったのが最高で、1975年のアジアサーキット前までは約72万円しか稼いでいなかった[2] [3]。
アジアサーキット開幕後は杉本英世・河野高明と共にシンガポールオープンへ出場し[2] [3]、最終日には4番から3連続を含む7バーディーを挙げ、1番だけをボギーにする好調さで[2] [3]、6アンダー66[2] [3]という猛烈なコースレコード[2] [3]を打ち立てる[4]。前日の5打差11位から大逆転し[2] [3]、謝敏男&郭吉雄(
中華民国)、マーティ・ボーエン(
アメリカ合衆国)、テッド・ボール(
オーストラリア)を抑えて初優勝を飾り[4]、賞金5905ドル、日本円で約177万円を獲得[2] [3]。
帰国後のペプシウィルソントーナメントでは3日目に67をマークし、吉川一雄、ベン・アルダ(
フィリピン)と並んでの8位タイ[5]に着けた。
広島オープンでは初日を内田繁、ミヤ・アエ(
ビルマ)と共に67をマークして2位タイでスタートした[6]。
1976年にはマレーシアダンロップマスターズで初日から首位を続け、ハル・アンダーウッド(アメリカ)とボビー・リム(
マレーシア)の激しい追い込みを辛うじて1打差に振り切って[7]海外2勝目を飾り[8]、1977年の同大会では2アンダーのパー70を記録し、ザイナル・アビディノ(マレーシア)を1打差で破って、大会2連覇を達成すると同時に海外3勝目を挙げる[9]。
国内では1976年の中部オープンで3日目に呂良煥(中華民国)と並んでの首位タイ[10]となり、最終日には陳健振(中華民国)の2位[11]に入る。
1979年の東海クラシックでは2日目に68をマークし、吉川・謝敏・入江勉と並んでの2位タイに着けた[12]。
1982年のデサントカップ北国オープンでは初日を青木基正・謝永郁(中華民国)・新関善美と共に69をマークして3位タイ[13]でスタートし、2日目は藤木三郎・鈴木規夫と並んでの6位タイ[14]、3日目は藤木と並んでの5位タイ[15]に着け、最終日には3位[16]に入った。
1985年の日経カップ 中村寅吉メモリアルでは気温34.4度という酷暑の中でのラウンドで尾崎直道・岩下吉久・須貝昇・中嶋常幸・倉本昌弘・尾崎将司・鷹巣南雄に次ぎ、謝敏・藤木と並んで9位タイ[17]に入る。
1987年には愛知オープンで優勝し[1]、静岡オープンでは呂良・湯原信光・中村通・尾崎直・入江・上原宏一・海老原清治・松井角次に次ぐ10位[18]に入った。
1988年にはテーラーメイド瀬戸内海オープンで並木弘道・入江・川俣茂・中村忠夫と並んでの9位タイ[19]、中部オープンでは中村彰男・時田陽充・塩田昌宏に次ぐと同時に松井・伊藤正己と並んでの4位タイ[20]に入った。
1991年の丸善建設カップでは初日に小林富士夫と2打差の2位[21]でスタートし、1996年の東建コーポレーションカップ[22]を最後にレギュラーツアーから引退。