鈴木直之進 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代後期から明治時代生誕 文化元年(1804年)死没 明治7年(1874年)8月14日別名 仮名:直之進 凡例鈴木 明光時代 江戸時代後期から明治時代生誕 文化元年(1804年)死没 明治7年(1874年)8月14日別名 仮名:直之進戒名 松寿院清山道白居士墓所 花勝山墓地(宮城県遠田郡涌谷町)主君 伊達村清→義基→邦隆→胤元藩 仙台藩陪臣(涌谷伊達氏家来)氏族 伊藤氏→鈴木氏父母 父:伊藤久兵衛妻 正室:鈴木氏継室:岡氏子 明清、寅之助、武次郎テンプレートを表示 鈴木 直之進(すずき なおのしん)は、幕末期の剣客。諱は明光。天辰一刀流の開祖。 文化元年(1804年)、仙台藩領陸奥国遠田郡大貫村(現:大崎市)に伊藤久兵衛の三男として生まれ、同郡涌谷長柄丁(現:涌谷町)の鈴木氏に婿入りする。 明光は幼時から剣術に興味を示し、はじめ柳生心眼流を修め、ついで亘理伊達氏の剣術師範・一丸水之助(安倍左膳)に師事して小野派一刀流を極め、さらに天保11年(1840年)には江戸に出て千葉周作に北辰一刀流を学んだ。 安政4年(1857年)、主君伊達邦隆より涌谷家中の剣術指南役を拝命。この頃にこれまでに学んだ各流派を折衷して新たに天辰一刀流を興した。明光の精妙を極めた剣技は藩内に及ぶ者無しと評され、道場も大いに繁盛して1,500人余の入門者があったという。 明治4年(1871年)5月、病に倒れ、明治7年(1874年)8月14日に死去。享年71[1]。奥義を伝授されていた嫡男の明清(惣左衛門)ら門人によって天辰一刀流は受け継がれ、現在に至っている。 参考文献 『涌谷町史』上巻(宮城県遠田郡涌谷町、1965年) 脚注 ↑ 明光の墓碑には「明治辛未年(四年)五月罹病、医薬百万遂歿。実七年八月十四日也、距生文化甲子(元年)年七十有七」とあり(『涌谷町史』上巻、567頁)、享年を77としているが、明治7年(1874年)に77歳であったとするならば、生年は寛政10年(1798年・戊午)でなければならず、生年・享年のどちらかかが誤っていると考えられるので、ひとまず生年の記述に従い、享年をこれに合わせた。 Related Articles