鈴木秀雄
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父・鈴木商店(味の素の前身)第2代社長鈴木忠治と母マスの七男として神奈川県三浦郡葉山村に生まれる。
大蔵入省後まもなく短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官[2]。同年9月に卒業[2]。1942年3月、主計大尉に進む[2]。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた[2]。戦後、B級戦犯容疑者として逮捕された。裁判では検事から死刑を求刑され、禁固15年の判決が下る。長い拘禁状態の後、サンフランシスコ講和条約の直前に仮釈放された。この間に公職追放も受けた[3]。
釈放後は大蔵省に復職。理財局課長などを経て国際金融畑に転じ、ニューヨーク領事(大蔵省ニューヨーク事務所代表)、国際金融局長を務める。ニクソン・ショック時にはIMF・世界銀行理事として後輩の柏木雄介(大蔵省顧問)にアドバイスを与えた。
長兄に鈴木三千代(三楽オーシャン(後のメルシャン)会長)、次兄に鈴木松雄(昭和電線電纜社長)、弟に鈴木竹雄(東京大学名誉教授)、鈴木義雄(通商産業省重工業局長、日揮社長)、鈴木治雄(昭和電工社長)、鈴木正雄(三菱重工業副社長)、鈴木泰雄(多摩電気工業会長)がいる。東大在学中には兄・竹雄が教えたこともある。竹雄の恩師田中耕太郎は秀雄が優秀なので、大学に残してはどうかと言ったという。